お盆休み中に映画『君たちはどう生きるか』を
観に行きました。
前情報がないまま観たその映画は
宮崎駿監督の過去の映画の画、風景などの
片りんも感じられるような、
どこかで「集大成」という言葉も
聞いた気もしましたが、まさにそれくらいの
壮大さを感じたとともに、
多くの映画にある「結末」「物語の答え」の
はっきりわかる終わりではなく、
観た人一人一人が答えを考える、
あなたはどうですか?
と問いかけられたような重厚なメッセージを
受け取って終わった映画でした。
ですので、観終わった感想を求められた
としても
楽しかった、悲しかった、感動した、
のような一言ではもちろんですが、
なかなか誰かに感想を伝えようとしても
言語化することすら難しいなと思いました。
(私の語彙力が拙いせいということもあります)
恥ずかしながら本のほうの
『君たちはどう生きるか』は未読でして、
この映画を観終わった後、もう少し
映画の内容を咀嚼するためにも
同じタイトルのこの本(吉野源三郎さん著)を
これを機に読んでみようと思いました。
※本を読んで感銘を受けた宮崎駿監督が
オリジナルの『君たちはどう生きるか』映画を
制作されたので、本の映画化、ではありません
児童文学者であった吉野さんだからこその
とてもやさしくてあったかくて
ユーモアも感じられる表現の中に
なんと清らかな、まっすぐな心が
伝わってくる本なのだろうと
説教じみた感じは全くなく、
主人公のコペル君とお友達、
おかあさんと叔父さんのやり取りに
友情、過去の過ち、個性とは、などに
関する自分自身の過去の体験も重ね
合わせながらじっくり読むことが
できました。
中でもこの本の中では
ものの見方について
凱旋
のお話が私にはとても響いています。
また、もう一つこの本を通じて
学べたことは
”コペル君によい子になってほしいと
お母さんや叔父さんがいろいろなことを
伝えていることに応えようとすることは
いいことだと思うけど、そのことが本当に
「大切だ」とコペル君が思って行動しないと
本当のいい人にはなれない。
いい人「風」なだけだよ”
(私なりの解釈で書いています)
という部分のお話でした。
これは「自分軸」につながる話だと
思ったからです。
たくさんの情報があふれている中で
良いと思うこともたくさんあって
例えばいろんなあこがれの人の
考えや行動などの真似をしたとしても、
それはまだよいことの寄せ集め状態だけで
あって、そこに「私」としての
包括性を感じられなくなってしまう、
情報過多になっているだけで
腹落ちできていないまま真似をしている
だけでは私自身のモノにはなれないんだな
ということを思いました。
ついつい、身近なできる人、すごいなと
思う人がやっていること考えていることを
参考にして自分もやってみようと思うけど
何かしっくりこないことがあるのは
自分軸として腹落ちできていない
うわべだけの振る舞い考え方なのだと
いうことなのだと思います。
起こった出来事について、目の前の事象について
「私は」どう思うのか、
どうしたいのか、
どうありたいのか、
考え続けなさいという教えだったのでは
ないかと思います。
一人ひとり答えは違うからこそ、
人の答えをもらうだけではなく
自分なりの答えを出しながら
トライ&エラー
チャレンジ&ゴー
そうやって成長していかなければ
いけないのだなということを映画からも
本からも学ぶことができました。