家族が出かけるとき、
私が家にいる限りは
玄関までお見送りをするのが
習慣になっています。
逆に私が出かけるときは
家にいる家族の誰かが
いってらっしゃい、と
言ってくれます。
ルーツは私が小さい頃
仕事に出かける父を
母と私たち姉妹とが揃って
玄関でお見送りをしていたことです。
大きくなるにつれ、思春期の頃には
毎日やっていたか、記憶が薄れて
しまっていますが
自分の家庭を持つようになっても
その経験からくる記憶が残っていて
台所仕事をしていたり
何かをしている最中であっても
いったん手を止めて
お見送りをしないと
何か、後悔してしまいそうな、
後味がよくない感覚です。
その気持ちは、
東日本大震災があったとき、
更には主人が大きな病気をして
入院をしたときに
特にそう感じたのでした。
明日が当たり前に来るとは限らない
ことを経験したからです。
もし、面倒だなぁという気持ちで
お見送りをしなかった日に限って
何かあったらどうしよう、
縁起でもないとは思いますが
それが最後に交わした言葉になるかも
知れないと想像すると
後悔してもしきれない
そんな気持ちになりそうな気がして
自分の納得の為にも
欠かしたくないと思うのです。
今朝犬の散歩をしていた時、
通った家から元気のよい
「いってらっしゃい!!」
という声が聞こえました。
その声を聴いて
改めてハッとその気持ちを思い出しました。
毎日毎日お見送りをしていることで
ちょっとした表情、声色、しぐさ、
家族のその時の気分や状況を
なんとなく感じることもできます。
また、
前日にちょっと言い合いをしてしまったり
嫌な雰囲気になってしまっても、
リセットをするきっかけにも
なっている気がします。
惰性だとしてもいいのです。
どんなことがあっても
朝の出発の時にはお互い声をかける、
グータッチをする、
一瞬の時間ではありますが
その積み重ねが家族のつながりに
なっていると思っています。
ちょっと反省をするとすれば、
私の「いってらっしゃい」の
掛け声が最近小さくなっているなと
いうことでしょうか、
今朝お散歩中に聞いた
元気なお見送りの声を見習って
明日はもう少し元気に
言いたいなと思いました。