家から駅へ向かう道の途中に

小学生の通学路として使われ

ている交差点が

何か所かあります。

登校時、下校時には

父兄の方や、

ボランティアの方々が

子供たちが安全に渡れるよう

見届けしてくださっている

信号のある交差点です。

私自身もかつて子供が

小学生だったころ

お当番で一つの交差点の

見送りにかかわったことも

あったので

今でも継承されているその

様子に当時のことを思い

出して懐かしくなります。

一方で、

その交差点付近は

通勤や遠方の学校へ行く

通学の人たちが

車や自転車で多く使う

道で盛るので

とても目まぐるしい場所

でもあるので

気を付けなければいけない

場所でもあります。

 

その交差点での先日の出来事。

 

ボランティアの方の見守りで

小学生の子供たちが

信号を守っている中、

点滅から赤信号に変わった

瞬間に

ササササーーーッって

小走りで渡った年配の方が

いらっしゃったのです。

その姿に思わずボランティアの

方が

 

「子供が見ていますよ!

信号を守ってください!!」

 

って大きな声でおっしゃったのでした。

 

年配の方はしらっとそのまま

歩いて行ってしまいましたが

その背中からうかがうに

いろんな思いが巡っていたのでは

ないかと思います。

本人目線から言えば

点滅中だったからいいじゃない!

そんな大きな声で言わないで!

わかっているわよ!

恥をかかせないで!

そんなあたりでしょうか。

でも

大人として子供たちに

ルールは守ろう

と教えている反面自分は

守れているの!?という反省は

信号に限らず様々な場面で

誰にでもあるのではないかと

感じました。

私自身もその場面を見て

顧みながら信号を渡っていきました。

 

顧みる中でのちに別の視点で

考えたとき、

数分の信号を待てないほど

急いでいるような生活に

なっていないか

待てないほどせかせかした

毎日になってしまっていないかな

ということも感じました。

そこで渡った時と、

次の青信号で渡った時との

数分の差のその先に、

どんな差が生まれるのか?と

いうことです。

”待てる”気持ちの余裕を

ついつい忘れがちだなということを

私自身も反省の意を込めて

そのシーンを振り返ったのでした。

 

子供たちのお手本になれるような

大人の振る舞い、

今回ボランティアの方が

声をかけなかったとしても

きっと、子供はちゃんと見ていたの

だろうと思います。