『スゴロクで学ぶユーチューブ』の76回目、「仕事や働き方クイズ17」を公開しています。
今回のクイズは家電量販店の売上1位競争で、「2002年、5年間売上業界1位だったコジマを追い抜き、ヤマダ電機が逆転1位になった原因」が問題です。
家電の激しい安売り競争は、「北関東安売り合戦=YKK戦争」から始まります。
コジマは1984年頃から「安値に挑戦」をスローガンに、群馬・茨城へ多店舗展開します。
コジマは開店セールで、「ご縁セール」を目玉に、数量限定でカラーテレビ・ファミコン・ラジカセ・電気掃除機などを「5円」で販売します。
ヤマダ電機もこれに対して「パソコンの1円セール」などで対抗、過激な安売り合戦が始まります。
ケーズデンキも「1円セール」を行いますが、行き過ぎた安売りには反対でした。
コジマは、「全国制覇」を目指し北関東での安売り競争を全国各地に持ちこみます。
それに対抗、ヤマダ電機も全国展開の販売競争に参戦します。
一方、カトーデンキは、「無理はしない、させない。背伸びをしない」の企業方針から関東や首都圏を超えた進出を自重します。
1997年、コジマはベスト電器を追い抜き、売り上げ業界1位になります。
2001年、コジマは売上が5000億円を突破、5,071億円を記録します。
翌年の2002年、ヤマダ電機は売上5608億円、コジマの4950億円を逆転して首位を奪います。
それでは問題です。
1997年から2001年まで売上業界1位だったコジマが、2002年ヤマダ電機に逆転された原因はなんでしょうか?
①②③の中から、間違った原因を一つ選んでください。
① コジマは、中・小型店(500㎡未満)で多店舗化する
2002年、店舗数はコジマ254店、ヤマダ電機146店でした。
全国展開を一番早く進めたコジマは、大店法規制もあり店舗は中・小型店でした。
1店舗当たり売り場面積が小さいので、ヤマダと比べ売上の拡大が難しくなりました。
② ヤマダ電機は大型店(1000㎡クラス)で多店舗展開する
1992年大店法の改正、1000㎡以上の出店が可能になります。
ヤマダ電機はコジマとのシェア争いを優位に進めるため出店を1000㎡以上に切り変えていき、1店舗当たりの売上で差をつけていきます。
③ 各地の有力販売店がコジマの進出に対抗する
コジマの強引な全国進出に怒りを感じた各地の有力店が、協力してコジマに販売競争をしかけ全国進出を妨害します。
コジマは、各地で同業者と戦うことになり、売上げを伸ばすことが苦しくなりました。
回答は、「間違いは ③ 各地の有力販売店がコジマの進出に対抗する」です。
コジマの全国進出に、家電量販店が協力して立向かう動きはありませんでした。
むしろ各地の家電量販店は、コジマの安売りに歯が立たず、経営難に陥ったり、転廃業に追い込まれていきます。
ただ、コジマとヤマダの売上競争では、ヤマダ電機は大型店(1000㎡クラス)で販売、コジマは中・小型店(500㎡未満)で販売、店の大きさが販売の効率性につながり、両社の売上の差を生んでいきます。
大型店舗の出店規制は、ダイエーや西友、イトーヨーカドーなど総合スーパーが全国各地で出店攻勢をかけたことで、倒産や経営危機に陥った中小小売業の救済や保護を目的としたものでした。
具体的には、政府が「小売業の正常な発展」を掲げて、1974年(昭和49年)3月に施行した「略称・大店法」が始まりです。
この法律で規制されたのは「開店日、店舗面積、閉店時刻、休業日数の4項目」ですが、特に問題とされ紛争となったのは「店舗面積」です。
家電量販店は、500㎡以上の店が規制の対象になりました。
1992年5月、日本政府はアメリカからの出店規制の緩和を求める声にこたえる形で大店法の運用適正化をはかります。
出店抑制地域の廃止に踏み切り、大型小売業が出店場所を自由に選べるようにします。
その2年後には、大店法を改正・施行して、店舗面積が1000㎡クラスの大型店舗の出店が自由に行えるようになります。
ヤマダ電機は、この大店法の廃止のタイミングを生かし、大型店化でコジマを追い抜きます。
ヤマダ電機に敗れたコジマは、その後も苦戦していまはビッグカメラの傘下に入っています。
「北関東家電戦争=YKK安売り合戦」については
「スゴロクで学ぶユーチューブ」のNo.73回目
『「無理しない、頑張らない経営」で売上は業界4位 家電量販店ケーズデンキ・後編』でご覧いただけます。
このゲームでは、従業員を大切にする「無理しない、頑張らない経営を推進するケーズデンキ・加藤馨、修一さん親子の働き方」を学ぶことができます。