クイズ16:ケーズデンキは、1947年 3坪のラジオ店からスタート!どのような成長戦略を展開? | think to careerのブログ

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『スゴロクで学ぶユーチューブ』の75回目、「仕事や働き方クイズ16」を公開しています。

 

今回のゲームは、家電量販店「ケーズデンキ」がテーマです。

 

 

1947年 3坪のラジオ店を開業します。

 

1980年頃、水戸に5店を出店、年商約14億円を達成します。

 

今回のクイズは、「3種の神器」といわれた家電商品の販売競争に打ち勝つため、ケーズデンキが「どのような競争戦略を展開したのか?」が問題になります。

 

 

昭和30年代は「家電ブーム」の時代で、「三種の神器=白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫」が全国に普及します。

 

ケーズデンキ(昭和30年社名 加藤電機商会)も、このブームに乗り成長します。

 

家電ブームにより、重電メーカー(昭和30年代後半 日立・三菱・東芝など)も量産体制を整備、販売店の系列化を進めます。

 

 

昭和39年、オリンピックでのテレビ商戦(カラーテレビとモノクロテレビ販売が不振、各社は過剰在庫のテレビを流通に「押し込み販売」、お店は安売り競争をします。

 

家電不況を乗り越え、昭和41年ごろからカラーテレビの価格低下により第2次家電ブームが起きます。

 

 

家電市場の成長性に注目したダイエーなどスーパーがテレビの安売りを開始します。

 

各地の家電販売店は、スーパーに対抗するためメーカーの系列から離れ、各社の商品を販売する混売店にシフトしていきます。

 

ケーズデンキも、時代の変化にあわせ生き残り策を展開します。

 

 

それでは問題です。

 

「ケーズデンキは成長に向け、どのような競争戦略を推進したでしょうか?」

 

①  ② ③の中から間違った戦略を一つ選んでください

 

 

①  価格競争に耐えうるローコスト経営を目指す

 

各地の有力家電量販店によって構成される全国組織「東日電」に加入(昭和42年から)します。

 

勉強会で「今後は価格競争が避けられない」ことを学びます。

 

価格競争に打ち勝つために、経費が少なくて済むローコスト経営を目指します。

 

 

②   出張サービスの実績をもとに訪問販売を強化する

 

創業時から他店が行わない出張サービスを実施、お客様から「親切でサービスの良い店」という評価をえて成長してきます。

 

この実績をもとに、お客さまとの信頼関係をより効果的に商売に生かすため、訪問販売を強化します。

 

 

③   家電各社の商品を扱い、大量仕入・大量販売する大型店化に取り組む

 

これからの家電販売店の生き残り策は大型店化だと予測します。

 

脱系列店の混売商売が原則になるとして、広い売り場に家電各社の商品を潤沢に並べ、お客様に気にいった商品を買ってもらう販売方式にします。

 

 

それでは解答です。

 

①②③のうち、「間違い」は何番でしょうか?

 

回答 「間違いは②  出張サービスの実績をもとに訪問販売を強化する」です。

 

①③は、実際にケーズデンキが進めた事業展開になります。

 

 

ケーズデンキは、訪問販売で個別にお客さまに商品を販売する方式では売上の大幅増は困難と判断して、これまでの出張サービス販売から店頭販売の強化に切り替えます。

 

時代は、各社商品の混売、大量販売、大量仕入れによる大型店化に向かっていました。

 

このような動きを促進したのが、ダイエーの価格破壊でした。

 

 

昭和44年までに、水戸市内に総合スーパーのダイエーや西友などが出店します。

 

ダイエーは、大量仕入れで非常に安くなった家電商品の「安売り」攻勢をかけます。

 

ダイエーに対抗するには、大量に仕入れて、割安な価格で大量に売る店頭販売力のある大型店でなければ生き残っていけないと認識します。

 

 

同時に、ローコスト経営のためチェーンオペレーションのシステムの研究に取り組みます。

 

商品の仕入れや販売促進、在庫管理、用意の配置、財務などの業務を「本部」が一括管理することでローコストを実現します。

 

 

「ケーズデンキ創業者・加藤馨さんの働き方」については

「スゴロクで学ぶユーチューブ」のNo.72回目

『3坪のラジオ店が、水戸市内に90坪の家電店を出店』でご覧いただけます。

 

このゲームでは、「戦後まもなく夫婦2人で始めた3坪のラジオ店を、90坪の店にまで成長させた加藤馨さんの働き方」について学ぶことができます。