俺らカウンセラー 心理カウンセラー
俺らでよければ 話を聴くぜ
黙ってないで 誰かに話しゃ
心の荷も 軽くなる
「何でもいい、話してみな!
最初は悩みだ…恨みつらみに…おっと憂さ晴らし
畜生、言いやがったな、否定せずに聴くぜ
電話だ、メールだ、ZOOMだ、ライン
ええい、どれでもいい この俺がサンドバッグだ」
「嵐を呼ぶ男(石原裕次郎)」の節で
思うところあってメンタルヘルスの勉強を始め、心理カウンセラー/メンタルケア・アドバイザー/メンタルヘルス指導員の資格を取得して早や数年。WEBや対面などで数は少ないながらも細々と活動を続けてはいるものの、この拙い替え歌(こういうことにのみ発揮される我が才能…)の気持ちで他者の助けになろうとする自身も悩みや災難の連続なんでR。
昨年5月31日に母は亡くなるし、せっかく障害者就労支援事業所の指導員となり、スキルを活かして尽力しようとしたものを上層部の方針が安定せず、再三の忠告にも関わらず内職作業のみに偏重し続けた挙句、作業員として雇用したい(「黙って作業だけしていればいいんだ」というニュアンスが明確に感じ取れた)と言い出したために断腸の思いで去ることとなり、元のフリーランスに逆戻り(中学の音楽教師として日々奮闘し、高校の英語教師の夫と二人の娘と新築一戸建てで安定した生活を営んでいる妹とは随分な違いである)、やるべきことは分かっているが、そのためのアイデアは湧かず、生来の筆不精が祟って自己PRだのプロフィール作成だのも遅々として進まない。只々反省の日々…
そんな中で自分を奮い立たせて少しづつ前進を試みる苦難の日々。
しかし、思うに、カウンセリングだの傾聴だのとしかつめらしく言ったところで、こうしたことは、つまるところ勉強や知識や資格ではなく、自身の人生においてどのような苦難を経験してきたか、それをどう受け止め振り返りができるか、そして、そこから得たものをどう活かすか、ではなかろうか。
世に言う優れたカウンセラーやカウンセラー養成学校の先生にも、礼儀を弁えず、無神経に他者を傷つける不遜な人物は多数存在する。どんなに知識や経験を振りかざそうとも私はそんな人物をカウンセラーとして断じて認めないし、実際、私の周囲にもそういうカウンセラーは残念ながらいる。だが、現実には、そうした人物が世の中で相当な立ち位置と活動の場を得ているのだ。
その現実は現実として、自身の苦難もさることながら、生活・愛情・生きがい、その他、自分が望んでいることについて何不足なく満ち足りている人はどのくらいいるのか、コロナ禍はいつ収束するのか?いつどこからミサイルが飛んで来るか?今後の世界情勢・経済はどうなるのか?このまま戦争のない日本であり続けられるのか?そんな不安だらけの世情にあって、自分がこんな目に遭うのはおかしい、自分が正しいのに、実力があるのに、組織や世間は正当に評価していない、その他、恨みつらみや心の憂さを抱える人々に寄り添い、心の癒しの一助になれればというのがただ一つの我が望み…
ということで、苦難に負けず我が道を切り開く。
男はひとり道を行く。
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