5月4日は「銀幕の妖精」と称されるオードリー・ヘップバーンの誕生日。
今回は名匠ジョン・ヒューストン監督がオードリーを主演に迎えて贈る西部劇「許されざる者」(1960年)をご紹介します。
"Burt Lancaster, Audrey Hepburn top an all star cast (1960) ''The Unforgiven''" Photo by Jack Samuels
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西部開拓時代のテキサス。
ザカリー家の長男ベン(バート・ランカスター)は、先住民に殺された父から農場を引き継ぎ、母マチルダ、次男キャッシュ、三男キャッシュ、そして養女のレイチェル(オードリー・ヘプバーン)と仲良く暮らしていた。
ベンは近くの牧場主ゼブと組んで大仕事を控えており、事業も順風満帆だった。
そんなある日、奇妙な老人エイブ・ケルシーが現れて「レイチェルは先住民の娘だぞ」と吹聴してまわるように。
ある日、カイヨワ族の首領がザカリー家に現れて、娘(レイチェル)を返すよう交渉に来るが、ベンは彼らを追い返す。
その後レイチェルに求婚したゼブの息子がカイヨワ族に殺されると、ベンとゼブの関係に亀裂が入る。…
原題・邦題共同じですが、クリント・イーストウッドの方ではありません。両者は別物です。
西部劇を観ていると「僕には合わないな」となります。
中には「異色の西部劇」に名作があり、こちらは評価高く観ますが、時代背景はいわばアメリカの黒歴史ですからね。
それは白人が新大陸に上がり込み、先住民の土地に侵入、そして略奪と殺戮の連鎖です。
他にも、西部劇で描かれる白人男性優位の世界観にもウンザリしてくるんです。
本作の設定もモロ西部劇。
要は、今まで通り白人ならレイチェルには幸せな暮らしが保障されます。
しかし、もしレイチェルに先住民の、有色人種の血が流れているとわかったなら、その後の人生はコロッと180°変わって悲惨に扱われるという運命。
このテーマを扱った名作は、ジョン・カサヴェテスの「アメリカの影」とか、「悲しみは空のか彼方に」等など挙げればきりがありません。
昔ほどじゃないにしても、今でもアメリカ社会はその辺りは変わらないでしょう。
銃にしても、西部劇で描かれているように、国の成り立ちからして無くなりはしないでしょうね。
さて、ケイシーの吹聴が事実と判明。
そこからザカリー家の運命が大きく変わります。
事業はストップ、元々人種差別主義者のチャーリーは絶縁して家を出て行く。
迷惑かけまいとしてレイチェルは家を出ようとするも、元々惹かれ合っていたベンはレイチェルを見捨てない。
皆が人生の岐路に立たされるんです。だからそれぞれ人生の選択をする。
レイチェルも選択しなければならない。育ててくれた一家と生きるか、あるいは元のルーツに戻るのか。
前者を選べば戦いは避けられない。…
ジョン・ヒューストンらしいテンポの良さですね。
コミカルな場面とシリアスな場面を交互に描いて緩急をつける演出です。
本作の評価が芳しくないのはわかります。
「これ、オードリーじゃなくてよくね?」という違和感でしょう。確かに。
しかし、オードリーはオードリー。
旅の汚れを落とすため池で水浴びするベンの胸元に無邪気に飛び込むオードリーは妖精です。
西部劇に出ててもオードリー感があるのはサスガなのかもしれないですね。