自分にも優しい生き方は大事な人の幸せでもある | ネコ人間のつぶやき

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 「鶴の恩返し」は知らない方はみえないでしょう。鶴が恩人の男のために、人間の女性になって嫁入りし、「決して開けてはいけません」と部屋に閉じこもって、痛みに耐えながら自分の羽を抜いて反物を織る物語でした。何も知らない男はその反物を売って裕福になります。でも、結果は男が部屋を開けてしまい、鶴は泣く泣く空に帰ってゆき、男は後悔して泣き崩れる。


 精神科医の北山修先生がこの物語から「自虐的世話役」という言葉を提示されています。マゾヒスティックに、相手のために自虐的に世話をする人物を指します。


 鶴は自分の羽を抜く際、激痛に耐えながら男に尽くしていたわけですね。もしかしたら、鶴は「それが愛なんだ。幸せなんだ」と思っていたかもしれません。でも、結果は永遠の別れという悲劇でした。


 自虐的に相手の世話を続けることが、実は自分の幸せでもないし、相手の幸せにもならない、ということを「鶴の恩返し」は物語っているかのようです。


 もちろん、相手の幸せは自分の幸せでもありますね。そのためには苦境を耐え忍ぶ時期も人生にはあります。我慢が必要なこともありますね。でも、それと自虐的になることは違う性質です。


 一方がパートナーのために、延々と自分を虐げるようにして生きてゆくことは果たしていかがなものか?という問題提起を「鶴の恩返し」は我々にしている気がしますね。


 自分を虐めないで、自分もいたわり、自分の自己実現も大事にする。自分にも優しくして自分の幸せも考える。それを喜ぶパートナー(あるいは子ども)が「自分も幸せ」と感じるのが理想的ですね。お互い様、ということでしょうね。


 「自分を甘やかすのも大事」とはそういうことなのではないでしょうか。自分の人生を生きることと、自己中心的に生きることとは全くの別物です。


 私は、自分も、大事な人も幸せになる道を生きることは、立派な自分の人生を生きることだと思うのです。