2007年5月7日に上祐史浩は新団体ひかりの輪を設立しアレフから分裂する。
ひかりの輪HPには事件を反省、麻原との決別とあるがわざわざ新団体を作る理由がよくわからない。
事件を反省し麻原と決別したなら1人で脱会すればいいだけのことである。
現にそうした信者は多い、というかわざわざ新団体を作ったのはケロヨンクラブ、山田らの集団しか見当たらない。
どうして上祐はわざわざ新団体を立ち上げたのであろうか。
ひかりの輪HPにはこのようにある。
13.オウム事件があったのに、なぜ団体を解散せずに維持しているのですか?
まず、ひかりの輪は、アレフ(旧オウム)を脱会した者が創設した団体ですが、オウムの後継団体ではなく、オウム信仰・教義・体制を一切捨て、それとは全く異なる性質を持った、東西の思想哲学の学習教室です。
次に、オウム事件の過去を持つ私たちが、個々人ではなく団体として活動することを選択した、主な目的は以下の通りです。
(1)オウム的なものに対するワクチンの普及
オウム(現アレフ)や、類似するオウム的な妄信の広がりを抑制・根絶するには、それに代わる精神的な幸福を得る健全な思想・哲学・実践法を持った団体・コミュニティが必要で、それをひかりの輪は目指しています(詳しくは、こちら)。
その中で、アレフ(旧オウム)の広がりの未然防止や、入会者の脱会支援、その布教組織の解体に向けた努力を行っています(詳しくは、こちら)。
こうした活動のためには、団体組織が不可欠です。
(2)オウム事件の賠償の実行
ひかりの輪は、オウム事件の被害者・遺族の方に賠償金をお支払いする契約を締結しています。被害者の中には、団体解散を求める方もいますが、賠償を求める方もいて、最終的な判断として、被害者団体側からの要請を受け、契約を締結しました。
この賠償の実行には、団体が不可欠です(詳しくは、こちら)。
(3)身寄りのない高齢者・精神疾患者の保護
オウム時代に教団に出家した高齢者・精神疾患者を団体が保護していますが、このために団体組織が不可欠です(詳しくは、こちら)。
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(1)オウム脱会支援
オウム家族の会:永岡弘行代表
カナリヤの会:滝本太郎代表
既に家族の会、カナリヤの会がある。
しかも、どちらもひかりの輪に反対し、ひかりの輪脱会支援もしている。
(2)オウム事件の賠償
オウム遺族被害者の会:高橋シズヱ代表
賠償については高橋シズヱさんたち遺族被害者の会が真っ向から全否定し解散を求めている。
早稲田大学英字新聞2008年春号の高橋さんの記事を見れば明らかである。
「形は変えていない。教義も変わっていない。反省しているとは思えない。賠償金をはらうために自分たちが当然存続して営利活動をしなければならないわけで彼らにしてみれば存続するための口実を作っているわけですからそれは納得しがたいものがありますよね。」
本当に反省しているなら脱会して罪の意識を持って賠償すべきだと彼女は訴える。また事件の概要を知らなかった信者に対しても怒りをあらわにした。
「それは理論的道義的な理由だけじゃなくて彼らのお布施をしたお金がサリン製造に使われたという間接的な加担はあったわけだからその点に関して謝罪していない人は許せない。」
(3)身寄りの無い信者の生活
ホームレス支援みどりの会:野田成人代表
国の生活保護があるし、ヴァジラティクシュナー正悟師こと野田成人のみどりの会もある。
よって3つの役割はわざわざ上祐が果たす必要はなく、これらは上祐の独りよがりであると言わざるを得ないのではなかろうか。
世の中は麻原を中心に回っているのではなかったように、上祐を中心に回っているのではないのだ。
特に遺族被害者たちの反対を無視して立ち上げたという点が問題であろう。
これではオウムのままと言わざるを得ないのではなかろうか。
さて、2013年8月11日の産経新聞に興味深い記事がある。
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地下鉄サリン事件(平成7年)など凶悪テロ事件を引き起こしたオウム真理教の後継団体「ひかりの輪」代表でオウム真理教元最高幹部、上祐史浩(50)。インタビューでは、かつて帰依した教祖、麻原彰晃(58)からの脱却を主張する一方で、一連の事件を知らない若者の獲得を進めているもう一つの後継団体「アレフ」の勧誘を「覆面」と強く批判し、事件への「反省」を強調した。しかし、オウム真理教の元最高幹部が再び、新たな宗教団体を率いることへの違和感をぶつけると−。(小野木康雄)
●宗教やりたいから続けている
−−今年1月、あなたの著書「オウム事件17年目の告白」(扶桑社)の出版を記念したトークイベントで、ひかりの輪を続けることが批判された
上「私は宗教をやりたいから続けているのであって、やる以上は被害者に賠償し、社会的責任を果たしていく。宗教アレルギーが強い一般の人は『なぜ宗教で失敗したのに解散しないの?』と考えると思うが、私たちは『宗教は悪くない。麻原の中にも良い所はあった』という前提。オウムの悪い所をなくして、良い所は麻原から脱却、自立する形で生かしていきたいと思っています」
−−矛盾していないか
上「私たちは麻原を通じて、いろんな宗教の寄せ集めを勉強したような部分もある。それは、悪くなかっただろうと。麻原を神格化したのがまずかったのだという考え方です」
−−あなたが宗教団体の代表として他の会員を率いる必要が、なぜあるのか
上「過去の痛みから逃げることが、オウム真理教の本質的な解決とは思えない。逃げるのではなく、オウムを超える。21世紀の宗教を作ること、ひかりの輪としてモデルを提示していくことが、オウム的なるものを払拭することではないでしょうか」
−−あなたがする必要はないのでは
上「カリスマ性のある人間が、バランス感覚を持ち、神でないと自覚しながら上下関係を形成することが課題ですから」
−−自身にカリスマ性があると認識している、と
上「簡単に言うとまあ、そうですね」
−−あなたが神格化される流れはできないか
上「過去から今までの反省を、ホームページなどで積極的に公開しています。それを読めば、私が間違いを犯し、愚かな面があった人だったんだとみんなが知る。それと、教義から団体運営まで絶え間なく改善していくべきだという考え方を強調しています。科学の進化と同じように、宗教も安全管理を求めて努力し続けるしかない」
●犯罪加害者は社会が生んだ
−−被害者感情に立つと、あなたが宗教をすることへの反発はあると思うが
上「これが私なりの償いですが、丁寧に説明しても、心情的に共感していただけないことは理解しています。ただ、オウムは社会が作ったところがある。社会を改善していく宗教側の取り組みがないと、カルト宗教をなくそうとしても、なくならないと思いますよ。社会が作る暗部ですから」
−−社会に問題があるのはもちろんだが、被害者の方々から見れば、あなたを許せないのではないか
上「申し上げないのがいいのかもしれないけれど、犯罪加害者は、社会が生んだ。その社会に被害者の方も住んでいた。麻原だって『日本が生んだバカ息子』という考え方もできる。バカ息子が改心するのを見守る気持ちにはなれないでしょ。死んでほしいでしょ。気持ちは受け止めますが、死にません。前に進みます。私たちは死なないし、消えない」
−−悟りという仏教の境地に至ったことはあるか
上「悟りって何なのか、分からない。悟りを死ぬまで求めるべきだという考え方です。ただ、仏教的な考えをすると、心が安定する。私は刑務所にいたとき『自己愛を和らげれば心が静まる』と体得しましたが、そうしないと生きていられなかったんでしょうね。私は最大の失敗者の一人だと自覚しています。自分よりはるかに大きな罪、十字架、批判、失敗、挫折を負った上祐が、どうして生きていられるのかと思って(私を)求めてくる人が、社会にはいる。そういう人たちを、私は面倒を見るつもりがあります」=呼称・敬称略
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何と上祐は自分はカリスマだからと臆面もなく答えている。
どうしてあの時にフリップを投げた男が自分で自分のことをカリスマと言えるのだろうか。
いや、フリップを投げることが出来るような男だからこそ、自分はカリスマと言えるのだろうか。
そして、ひかりの輪は全員が上祐はカリスマと本当に思っているのだろうか。
この辺りにオウムのままの特別意識が見え隠れしてしまう気がする。
また、全員が上祐はカリスマと思っているなら、全員が麻原は最終解脱者と信じたオウムと同じではなかろうか。
上祐が「いえいえ、それは誤解です」というなら、是非とも説明をお願いしたいところである。
そして「宗教をやりたいからやる」とも答えている。
それに自分の意見を遺族被害者たちに押し付け解散しませんと断言している。
結局のところ、自分がやりたいからやるのであり、遺族被害者の反対はどうでもいいのだろうか。
また、ひかりの輪は宗教ではなく哲学教室のはずだが、自分で宗教と言っている。
これは一体どういうことだろうか。
これではオウムのままと言わざるを得ないのではなかろうか。
上祐には説明をお願いしたいところである。





