商品の価値形態

商品の価値が現象する形態あるいは商品が自己の価値を表現する形態⁽¹⁾

単純な価値形態(形態Ⅰ)⁽²⁾

1財と1財の交換関係

ex.20ヤールのリンネル―交換―1着の上着

この場合、リンネルの供給者は上着の需要者



拡大された価値形態(形態Ⅱ)⁽³⁾

ex.リンネル20ヤール―1着の上着

          ―10ポンドの茶

40ポンドのコーヒー

1クォーターの小麦 



リンネルの価値は、今では商品世界の無数のほかの要素で表現され、ほかの商品体はどれもリンネルの価値の鏡になる。こうしてこの価値そのものが無差別な人間労働の凝固として現れる。⁽⁴⁾

一般的価値形態は、同一の商品世界に属するすべての商品が、この世界から排除されたただ一つの商品で、自分の価値を表現する形態である。この場合、等価物の位置にある商品はすべての商品と直接に交換可能であり、かつ共通の価値表現に役立ち、価値を尺度し比較する手段としても役立つ。このような等価物を一般的等価物と呼ぶ。⁽⁵⁾

商品交換が一般化するにつれて、一般的等価物の役割を担う商品が金・銀になり、最終的に貨幣となる。⁽⁶⁾

宇野弘蔵の価値形態論⁽⁷⁾

マルクスの価値形態論には二つの論理が混在している。

その一つは、商品論の冒頭部分で労働による価値実体の論証がなされたものとし、それを前提として価値形態論を展開するという論理である。実体として確定された価値が如何に表現されるかを追求する論理や、価値実体を前提とすることで価値式両辺の逆転可能性を強調する論理がそれである。

これに対して、もう一つは、たとえ価値の実体が規定されていたとしても、ある商品の価値は他の商品の使用価値でしか表現することができず、この関係の発展を価値形態の展開とする論理である

宇野はこの後者の論理を明確にすると共にそれを継承し純化した。商品論の冒頭での価値の実体規定を排除したこと、貨幣導出の論理を、交換過程論にではなく、その内のある種の内容を織り込みつつ価値形態論に一本化して求めたことなどがそれである。

引用

(1)大谷禎之介 『図解 社会経済学』 桜井書店 p65

(2)奥山忠信 『貨幣理論の形成と展開』 社会評論社 p260

(3)奥山忠信 『貨幣理論の形成と展開』 社会評論社 p275

(4)奥山忠信 『貨幣理論の形成と展開』 社会評論社 p276

(5)大谷禎之介 『図解 社会経済学』 桜井書店 p71

(6)大谷禎之介 『図解 社会経済学』 桜井書店 p71

(7)田中史郎 「価値形態論の現在」 www.mgu.ac.jp/~stanaka/articles/kachikeitai.pdf

・使用価値:具体的有用性、素材そのもの

・価値(実態):生産するために必要な労働(抽象的人間労働)

・交換価値:価値をほかの商品で表したもの

・価値形態:価値が交換価値として現象すること、

      価値がほかの商品の使用価値を使って表される


スウィージーの批判

資本の有機的構成がいかに大となったとしても、有機的構成(c/v)の上昇に伴う労働生産性の上昇の結果、搾取率(m/v)がそれを相殺するほどに上昇したとすれば利潤率は必ずしも低下しない。⁽¹⁾

ロビンソンの批判

有効需要不足に触れていない。⁽²⁾

搾取率が不変ならば、生産力の上昇に伴って実質賃金率も上がるはずであるが、実質賃金率の上昇について論じていない。⁽³⁾

一般的に指摘されている点

1.資本の有機的構成(c/v)が高度化するとしても、生産力の発展に伴う剰余価値率の上昇には理論的な限界はないのだから、必ず利潤率が低下するとは言えない。⁽⁴⁾

2.生産力が発展するにつれて不変資本の諸要素が低廉化するので、資本の有機的構成は必ずしも高度化するとは言えない。⁽⁵⁾

3.個別資本は利潤率を低下させるような新技術を採用することはないのだから、社会的資本についても、新技術の採用が利潤率の低下をさせることはありえない。⁽⁶⁾

これらへの反批判

1.v+mの総量が利潤量増大の限界なので、これが利潤率の限界になる。

過去の労働である旧価値cと生きた労働の新価値v+mの価値成分の比率を資本の新旧価値構成と考え、新価値をNとして価値の比率であるN/cをとり、これを新価値率と呼びn’とすると、資本の新旧価値構成の高度化はn’の減少によって表現される。⁽⁷⁾

資本の有機的構成の高度化が生じると資本の新旧価値構成が高度化するので、n’は低下する。

利潤率よりも新価値率のほうが大きいので利潤率は新価値率を超えることができず、ここに利潤率の限界がある。⁽⁸⁾(=上限低下論)


利潤率r=m/(c+v)<(v+m)/c=N/c=n'


2. 不変資本の諸要素の低廉化は、生産物価値を低下させるような新技術が一般化した時にはじめて生じるものであって、それまでの期間にも資本構成の高度化は進行している。

不変資本の諸要素の低廉化は資本構成の高度化を直接に妨げるものではなく、進行の速度を和らげるものでしかない。⁽⁹⁾

3.個別資本が新技術を用いて不変資本を節約し、部門内での超過利潤を得ようとするが、部門内で新技術が一般化すれば個別の超過利潤は消滅し、利潤が低下する。⁽¹⁰⁾

参考文献

(1)置塩信雄 『マルクス経済学Ⅱ』 筑摩書房 p162

(2)J・ロビンソン 『マルクス経済学』 有斐閣 p50

(3)J・ロビンソン 『マルクス経済学』 有斐閣 p51

(4)大谷禎之介 『図解 社会経済学』 桜井書店 p328

(5)大谷禎之介 『図解 社会経済学』 桜井書店 p328

(6)大谷禎之介 『図解 社会経済学』 桜井書店 p328

(7)大谷禎之介 『図解 社会経済学』 桜井書店 p329

(8)大谷禎之介 『図解 社会経済学』 桜井書店 p330

(9)大谷禎之介 『図解 社会経済学』 桜井書店 p331-p333

(10)大谷禎之介 『図解 社会経済学』 桜井書店 p333



執筆:橋本


金廃貨論をめぐる論争 

富塚良三・種瀬茂・浜野俊一郎[]『資本論体系2 商品貨幣』(1984) 有斐閣 p272-278 執筆者:小野朝男。より―

背景

1922年 ジェノア会議

金に代わって金為替が国際間の最終決済手段に利用されるように。対外支払い準備のなかに金と並んでポンドやドルの主要外貨(金為替)が加えられる。→あくまでも、金との兌換が条件

戦後 IMF体制下でのドルの基軸通貨化

→アメリカ政府が外国通貨当局保有のドルに限り金兌換を保証

19718月 ニクソンの声明によりドルと金の兌換が一時停止

→しかし、ドルは今でも、公然と大々的に国際間の一般的な支払い手段および一般的な購買手段として、さらにいえば最終的な決済手段として利用されている。


不換ドルであっても国際通貨として機能できるのでは・・?(=金廃貨論)

代表的な見解

岩野茂道氏(金廃貨論支持)

・流通手段や支払い手段、価値尺度機能でさえも、現実の金素材から分離される。そして、そのことから、不換ドルでも国家機関のような何らかの統合システム自身の「強制通用力」が与えられれば、通貨として流通する。→システムマネー論

岡橋保氏・楊枝嗣朗氏

・ドル手形は兌換、不換を問わず信用貨幣。

・「世界貨幣=金の国際的支払い手段としての機能を代理する貨幣代替物」であることから、国際通貨が存在する。

・金の価値尺度機能は否定されない。

楊枝氏―イマジナリ―マネー論[i]

富塚文太郎氏

・金は限られた範囲と機会において世界貨幣として機能しうる。

・国際通貨としての金の現代的意義については否定的。

各論者の共通点

世界貨幣の領域と国際通貨の領域を明確に区別され、前者において金の機能を認めながら、後者においては、金の全面的な廃貨を認める。


久留間健氏・片岡尹氏・平勝広氏

金廃貨論者だが、国際通貨の領域に限っても、金が現身で現れる余地を残す。

今日の不換ドルが国際間の最終決済手段として大々的に利用されているのは、国際協調の名のもとに行われている「最終決済の繰り延べ」(平氏)、あるいは「為替リスクの回避」(深町侑彌氏)に支えられた準備通貨としての保有を根拠としている。

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小野朝男氏の見解― 金廃貨論は理論的に行き詰る

金に対する民間の主な需要は,産業用,インフレ・ヘッジを目的とする投資的退蔵,値上がり期待の投機的退蔵である。このような金の民間取引の活発化は,固定相場によるものではないにせよ,金本位制下で行われていた銀行券の金兌換の事実上の復活ではないか?[ii] という意見もある。→金は廃貨していないという立場

松尾匡先生-『資本論』が書かれた時代は、金本位制であったため、貨幣は金であるとして話が進められているが、今日ではあてはまらない。[iii] →金廃貨の立場



[i]  岡本悳也 *忘却された貨幣論*~貨幣金融システムの虚構性現実性~[wwwsoc.nii.ac.jp/jsme/kinyu/pdf/07f/07f209-okamoto.pdf]2011719ダウンロード)

[ii]  富塚文太郎 貨幣は価値尺度ではない[www.tku.ac.jp/kiyou/contents/economics/259/119_tomizuka.pdf]2011719日ダウンロード)

[iii]  松尾匡 『図解雑学 マルクス経済学』(2010) ナツメ社 p186-187参照。