おはようございます。

 

 

心と身体をつなぐカウンセリングセラピスト

つぎたにあきです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お店をしていた頃のこと。

 

夕方、

最後のお客さんが帰ったあとのテーブルをいつものように方付けているとき、

ペーパーナプキンになにかが書かれているのを見つけました。

 

 

ちらりと見えたペーパーには、

「オーナーさんへ」 とありました。

 

 

なんだろうとおもって読んでみると、

 

 

「閉店ぎりぎりに来てしまって申し訳なかったです。

今日は職場でもさんざんで、お昼ごはんもとれない大変な一日でしたが、あなたのつくるごはんを食べて、ほっとし、気持ちが戻ってきました。ありがとう。」

 

 

というようなことが書かれていました。

 

 

 

 

彼女とは面識はなく、

ずいぶん疲れているようだな、、とは感じたものの、

彼女のその日のさんざんな事情もなにも、もちろんわたしは知りません。

 

なにか会話を交わしたわけでもなければ、

特別なサービスをしたわけでもありません。

 

 

 

わたしがしていた、

そんな淡々としたサービスだったとしても、

気持ちが弱っているようなときには、すこし役に立つこともあり得るんだなあ。。と、

そのときはそんなことをなんとなく考えながら、、、でも、すぐに頭からはこぼれ落ち、

いつものモードでせっせと後片付けと閉店作業を進めていたのでした。

 

 

 

 

いまそのことを思い出すと、

こんなふうに、また違ったことを考えます。

 

 

違う角度で見てみれば、

 

本人が気がついていようがいまいが、

彼女の中には、そもそも自分自身をケアする力が備わっていて、

目の前の誰か・何かを手がかりにして、

その力はいつだって発揮できるようになっていたのだな、ということ。

 

 

つまり、

わたしのつくる《ごはん》が彼女を癒したのではなく、

彼女自身が、わたしの作った《ごはん》を使って、自分で自分を癒したのだ。

 

 

ということです。

 

 

 

 

だれの内側にも、《自分で自分を癒す力》が備わっている。

 

 

 

 

その力を発揮するのに必要なのは、

自分のための少しの静かな時間と、その時間を取ろうとする気持ちです。

 

 

 

 

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だとしたらほんのちょっとのこと。

 

たとえば、

 

 

自分で自分においしいお茶を入れるくらいのことでも、

なにかおいしいお菓子をひとつだけ買ってかえることでも、

家に帰る前に気に入ったカフェや本屋に立ち寄ることでも、

好きな音楽を聴くことや、気に入った写真集を眺めることでも、

 

 

 

自分のために、

ほんのひとときの静かな時間を割くことで、

気持ちを取り戻すこと(=ケア)ができるはず。

 

 

そんな自分の力を発揮する機会(時間)を、つくってみる・もってみる。

 

 

 

 

 

「まあ、一服、茶を喫んでいけ」

日田が点ててくれた茶を喫むうちに、鐵造の心は静かな湖面のように落ち着いた。このひと月あまりの波立った気持ちが嘘のようだった。

 

 

『海賊とよばれた男(上)』百田尚樹著より

 

 

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たかだか、お茶一杯分ほどの時間。

 

これくらいの些細なことで、

だれの内側にもある《ちから》が発揮される。

気持ちは、おおきく変わり、前をむく。

 

 

 

どうぞ、今日もよい一日を!

 
 
 

Flow Life Labo   AKI TSUGITANI