「そういう儀式を催すことで満足が得られる人は、催せばよろしい。
私たちは最大限の寛容的態度をとるべきだと思います。
が、私たち霊はそういう儀式に参加したいという気持ちが、全くありません。
そんなことをしても、キリストは少しも喜びません。
私にとっても、何の役にも立ちません。
霊的知識の理解によって、そういう教義上の呪縛から解放された無数の人にとっても、何の価値もありません。
キリストに対する最大の貢献は、その教えの通りに生きることです。
他人のために奉仕することです。
内部に宿る霊的能力を開発して、悲しむ人を慰め、病気の人を癒し、懐疑と当惑に苦しんでいる人に確信を与え、助けを必要としている全ての人に手を差しのべることです。
儀式よりも日常の生き方の方が大切です。
宗教とは儀式を催すことではありません。
他人へ奉仕することです。
聖なる書と呼ばれている本から、全ての文字を抹消しても構いません。
賛美歌の本から、聖なる歌を全て削除しても構いません。
儀式という儀式を全て欠席しても構いません。
それでもあなたが気高い奉仕の人生を送れば、宗教的となるのです。
そういう人生によって、内部に宿る神性が正しく発揮されるからです。
私は皆さんの関心を、儀式に向けさせたくはありません。
大切なのは形式ではなく日常です。
日常の中で何をするかです。
どういう行いをするかです。」