魂の偉大さは、苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。
失意も落胆も魂の肥やしです。
魂がその秘められた力を発揮するには、いかなる肥やしを摂取すれば良いかを知る必要があります。
それが地上生活の目的なのです。
失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。
あなた方には、まだまだ発揮されていない力 一 それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。
それは楽な人生の中では、決して発揮されません。
苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。
金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことが出来ないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。
それ以外に方法がないのです。
他にもあると言う人がもしいるとしても、私は知りません。
人間の生活に過ちはつきものです。
その過ちを改めることによって、魂が成長するのです。
苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも、大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。
何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い煩うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。
何かに挑戦し、苦しみ、地上という名の戦場で、魂の兵器庫の扉を開き、神の武器を持ち出すこと、それが悟りを開くということです。
困難にグチをこぼしてはいけません。
困難こそ魂の肥やしです。
むろん困難の最中(さなか)にある時は、それを有難いと思うわけにはいかないでしょう。
つらいのですから。
しかし、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせる、この上ない肥やしであったことを知って、神に感謝するに相違ありません。
この世に生まれてくる霊魂がみな、楽な暮らしを送っていては、そこには進歩も開発も個性も成就もありません。
これはきびしい辛い教訓ではありますが、何事も価値あるものほど、その成就には困難がつきまとうのです。
魂の懸賞は、そうやすやすと手に入るものではありません。