アルカノとセレン〜13
柔らかになびく白銀の美しい毛に覆われたセレンは、
長くしなやかな首を伸ばし、湖面を滑るようにウリ
エルの方へと近づいてきた。
そして真珠色の瞳に大天使を映し出すように顔を寄
せると、甘えるように鼻面を擦りつけてきた。
猫のように喉を鳴らし、恍惚の表情を浮かべ、瞳を
静かに閉じるセレンの顔を、ウリエルは愛おしそう
に優しくゆっくりと撫で続ける。
そのウリエル、擦りつけられた拍子に"しりもち"を
ついてしまっていた。
地獄界で出会ったアルカノよりは一回り小さかった
が、それでも番犬のラス達よりははるかに大きいの
だ。
くわえてウリエルは小柄である。
だがそんな滑稽な場面も、ウリエルは楽しくて仕方
なかった。思わずクスクス笑ってしまい、セレンの
顔をキュッと抱き締めた。
「いい子ね、いい子いい子…… 」
天からの加護を授かりし翼で、優しく包み込む。
「会いたかった…… セレン…… 」
『我も会いたかった…… ウリエル殿よ…… 。美しき
太陽の天使よ…… 』
「あのねセレン、あなたに見て欲しい物があるの」
そう言うとウリエルは翼から"ある物"を取り出し、
セレンの瞳の前に差し出した。
それは、例のアルカノの爪を加工して作られた、
刺青用の針であった。アスタロトの手によってウリ
エルの肌に施された刺青に使用した、あの手彫り針
である。
「これはね、地獄獣の爪で作られた刺青用の針なの。
地獄獣─── もうひとりのあなた自身よ、セレン」
『もうひとりの我が…… 』
「そうよ、セレン。あなた覚えてる?遥か昔の楽園
での出来事を。あなたは"父"の大切な果実を守って
いたわね。『真実の果実』を─── 」
『遥か昔の楽園…… 』
ふとセレンは遠い目をしたが、その後僅かながらに
厳しい光を宿した。どうやら「あの事件」を思い出
したようだ。
『憎き"人間"…… 。あの者どもは我が"父"の大切な物
を奪ってしまった!そして我の身を引き裂き、
まるで泥の底のように秩序も持たぬ者を次々と
産み出していったのだ!
我々の仲間の殺戮を繰り返し、"父"の世界を汚し、
我は奴らを許す事は永劫出来ぬであろう』
「セレンよ、あなたの気持ちは痛いほどわかるわ。
だからこの深淵の森で、動物達の魂を守っているの
でしょ?彼らにとってここは永遠の安息地なの。
地上でどんなに酷い仕打ちを受けたとしても、この
森のあなたに会う事で、永遠の安らぎが約束される
のよ。彼らはきっと、あなたに感謝してるわ」
ウリエルはそう言うと、いつの間にか周りに集まっ
てきた動物達を見渡した。
「セレン、私もあなたに感謝します。ありがとう。
─── さあ、これを受け取って」
もう一度ウリエルは"手彫り針"を差し出した。
先程まで怒りを帯びていた森の王の瞳は次第に穏や
かさが戻り、彼女の手元を暫し見つめていた。
そして猿のそれにも似た両手を伸ばすと、そっと針
を受け取り、愛おしそうに胸に当てた。
『名を…… この者の名前は…… 』
「名前はアルカノといって、地獄界の大海原にいる
の。ルシフェル様が支配する世界で、自分の役割と
いうものを理解しているようよ。そして、ルシフェ
ル様は自分の恩人だと言っていたわ」
『ああ、ルシフェル殿!』
セレンはまるでため息を吐くように、大きく一つ
吐き出すと、自分の棲む白銀の聖域を見上げた。
『この世界は彼を模した世界─── 。銀色の世界は
彼のイメージ…… 』
「そうだったの…… 」
『薄れゆく記憶の中、最後に見た世界、それが銀色
の世界だったのだ。アルカノ─── もうひとりの
自分が、偉大なる銀色の翼の持ち主の下へ…… 。
会いたい…… 叶わぬ願いだろうが、アルカノに会い
たい…… 』
なんて切ない想いなのだろう。
アルカノの爪で作られた手彫り針を握りしめたまま、
目を閉じ続ける聖霊獣の王。
王の願いは永遠叶えられぬと分かっているだけに、
ウリエルの心には激しくも辛い苦しみが襲ってくる
のだった。