パトリック・デュポンが逝ってしまった…… | 明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

 3月5日、パトリック・デュポンが帰らぬ旅に出てしまいましたね。61歳だった。彼のパートナーのコメント「彼は今朝、星々と踊るために飛び立ちました」が美しすぎて涙😭😭😭

 私のバレエ鑑賞歴はパトリックから始まったので、彼の存在は超・超・特別です。彼の死去のニュースを知ったときツララが胸をスーッと通ったような気持ちになった。落ち込んで、数日間は気持ちの整理がつかなかったです。でも記録しておこうと、彼の誕生日の今日3月14日(なんと仁左さまと同じ‼️)にupします。

 

 私が初めて観た生のバレエは、1983年、東京バレエ団創立20周年記念公演として全4回組まれたシリーズのうち、第1弾の公演「ベジャールの夕(ゆうべ)」です。

 ベジャール作品をいくつか上演したもので、そのうちの1つ「ボレロ」をパトリックが客演としてメロディーを踊った。当時24歳の彼の瑞々しい「ボレロ」を観て雷に打たれたような衝撃⚡️を覚え  パトリック・デュポンというダンサーの虜になり、モーリス・ベジャールという振付家に興味が湧いた。バレエという舞台芸術を知った瞬間です。

 

 


 それまでバレエには興味も縁も全くなかった自分がこの公演を観ることになったのは映画「愛と哀しみのボレロ」がきっかけ。映画として素晴らしくて感動したし、あの中でジョルジュ・ドンが踊る「ボレロ」に強烈な印象を受けた。その後、知り合いに「あの『ボレロ』を生で観られるよ、踊るのはパリ・オペラ座の新進エトワールですごくカッコいい男の子よ」と誘われ、好奇心に押されて観てみることにしたのです。

 それ以来、パトリックが出る公演を追いかけるようにして観たなー。彼の記事が載った雑誌や、当時はVHSだった映像も買いまくりました。華があって天才肌で破天荒、踊ることと人を驚かすことを愛した人でした。彼が華麗にジャンプや回転をするたび拍手と共に悲鳴にも似た歓声が上がったのを思い出します。

 以下に、評伝「パトリック・デュポン エトワールの情熱」(1985年までの記録)、自伝「パリのエトワール」(2000年著)、ニュース記事などを元に彼の経歴をザッと。

 

 

1969年10歳 パリ・オペラ座バレエ学校入学。

1975年16歳 パリ・オペラ座入団

1976年17歳 ヴァルナ国際バレエコンクール金賞。ロシアの覇者が続くコンクールで初めてフランス人ダンサーが金賞を。さらに審査委員会は「ヴァルナ市青年団体特別賞」を贈る。これは、それまでウラジーミル・ワシリーエフとミハイル・バリシニコフにしか与えられたことのない栄誉。フランスのバレエ雑誌は彼を「フランスのヌレエフ」と呼ぶ。

1980年21歳 ノイマイヤーが彼のために振付けた「ヴァスラフ」でエトワール任命

1988年27歳 国立ナンシーバレエ団の芸術監督に就任。

1990年31歳 パリ・オペラ座バレエ団の芸術監督に就任

1995年36歳 芸術監督の契約更新を辞退。背景にオペラ座の新・総支配人との確執。

1997年38歳 オペラ座を解雇される。背景に経営陣との不和。「不服従と無秩序」を理由にバレエ団が彼を、恒久的エトワールではなく客演エトワールとしての契約に切り替えようとしたことを不服として訴訟を起こしたが敗訴。バレエ団の許可なくカンヌ国際映画祭の審査員として出席。その後オペラ座との契約更新は成らず。1998年に退団。

1999年2月39歳 日本公演「世界バレエの美神たち」で復活。その後はミュージカルレヴュー出演、人気番組の司会、ショーの審査など。

2004年45歳? レイラ・ダ・ロシャのダンススクールの教師に。

2008年49歳 第一線を退くことを表明。

2017年58歳 上記のロシャとボルドーに国際ダンススクールを開設

 

 パトリックはオペラ座学校時代から、頑固で言うことを聞かない子供だったらしく、すでに「アンファン・テリブル(恐るべき子ども)」「異端児」扱い😅  オペラ座バレエ時代も組織という窮屈な世界、息の詰まるような規律に反発し、レッスンをサボることもしょっちゅうだったそうですそうした性質がキャリアには仇となったともいえる……)。1997年は解雇以外にも、破産、首の腫瘍の手術、骨折、借りていたベジャールの別荘の火事など災難続きだった😢

 日本での最後の公演は1999年7月の「パトリック・デュポン 永遠の太陽 彼は踊る…世界を」。40歳でした。

 

 

 

 彼の才能とテクニックと人脈と人柄を思うと、40代以降の彼のバレエ人生が不遇だったのは不思議です。近年は、時々インスタに画像や映像を載せていて、元気そうだワと安心していました。彼の画像を最後に見たのは昨年秋ごろで、かなりやつれていて愕然としたけど、「雷に打たれたような病気=急性の癌」らしいので、あ…あの頃からだったのかなと思っています😿

 

 かつて彼は輝いていた✨ 彼はダンスール・ノーブルとは言い切れないし、バレエダンサーとしては理想的な体型ではないし、グルメ(美味しいものを自制するのが苦手)だったこともあり30代後半には太り出してきた。振付を勝手に変えたり基本スタイルを崩したりという奔放さのある、まさに型破りのダンサー、そういう個性が魅力でした。

 無邪気さとユーモア、狂気と苦悩、その両極端を彼は表現できた。クラシック作品での感情豊かな演技、ベジャールやノイマイヤー作品での神がかり的なダンス、プティやサープ作品での軽妙洒脱なステップ、どの踊りにも「パトリック・デュポンの色」がありました。彼の公演はいつも、観る前からワクワクし、観ている間は度肝を抜かれ、観た後は幸福感に満たされた💕  あの電光石火のような跳躍や回転には本当に興奮したなぁ……。

 葬儀は3月11日にガルニエ宮近くにあるサン・ロック教会で行われました。埋葬地はどこだろう。パリに行ったときはお参りに行かなくては。どうか安らかに🙏

 

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