「マクガワン・トリロジー」@世田谷パブリックシアター | 明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。


テーマ:

作 シーマス・スキャンロン

演出 小川絵梨子

出演 松坂桃李/小柳心/谷田歩/浜中文一/趣里/高橋恵子

 

 北アイルランド紛争が深刻化していく80年代、IRA(アイルランド共和軍)で殺人マシーンと呼ばれたヴィクター・マクガワンの物語。トリロジー(3部作)というのは、84年、85年、86年と、1年ごと3つの物語で構成されているから。初演は2014年と、割と最近なんですね。

 超簡単あらすじ。1部@北アイルランド、ベルファストのパブ。組織を裏切ってイギリス側に情報を売った疑いのある仲間と、自分を非難したIRAの上司と、たまたまそこにいたパブのバーテンダーを射殺。2部@アイルランド、彼の故郷である田舎町の湖の畔。IRAのルールに反した罪で、幼馴染の女を射殺。彼女との思い出話を通して彼の青年時代の断片が見えてくる。3部@アイルランド、ゴールウェイの老人施設。病床の母を訪ね、薬で安楽死させる。母との取り留めのない話を通して彼の子供時代がむき出しになる。

 

 これはIRAの活動や深刻化する北アイルランド社会情勢の話ではなく、武力闘争に行き詰まったIRAの中で自分を証明しようとするヴィクターの、とても個人的な物語でした。

 1部では、暴力でしか自分を表現できないヴィクターの追い詰められた心が浮き彫りになる。落ち着きなく始終動きまわり、思いついたら行動に移し、怒りが高じてすぐ乱暴な態度に出る彼は、まるでサイコパス。そして、語学や文学の知識があり、知的な冗談や詩的なセリフをつぶやくなど、切れ者の一面がある一方で、パンクロックの音楽に合わせて歌い踊り、狂ったように、あるいは楽しむかのように人を殺していく。静と動、知性と狂気が同居するヴィクターは、刃物のように危険で怖い存在だったー ガクブル

 

 2部で登場する幼馴染の女性には名前が付いていません。役名は「女」。彼女は瀕死のイギリス兵に一口の水をあげたことが「IRAのルールに反する」という理由で殺されるんだけど、殺害の前に喉が渇いたと言う彼女にヴィクターは水をあげる。建前と本心がかみ合わない彼の矛盾が一瞬だけど露わになるんですね。葛藤し、気持ちが揺れ動きながらも無情な結論を出して、かつて思いを寄せていた彼女を殺したあと、やりきれなさで自分を呪うヴィクター。このとき慈悲という感情と素直に向き合ったのかもしれない。

 IRAに入る前の、青年時代の彼がここで浮かび上がってきます。ちょっとクレイジーで変わり者だったことは確かのようだけど、女の子には奥手だったみたいで、彼にも普通の生活があった。哀愁感が押し寄せてくる2部でした 涙

 

 3部はヴィクターの深層に迫る物語の肝だけど、分かりづらかったな がーん 母親が重度の認知症という設定なので、彼女の話の、どこまでが真実でどこからが妄想なのか判断が難しくて。

 ヴィクターと母親とのかみ合うことのない会話からぼんやり見えてきたのは、ヴィクターは母親に愛されてこなかったこと 泣き1 彼は母を憎みながらも愛されたい、母に自分の存在を認めてもらいたいと思っていたたこと くすん だから、母は本当は自分を愛してくれていたのではないか、かすかな期待をもってここに逃げ込んだのかもしれません。

 2部でちらっと話が出た、湖畔で殺されたウィニーという女の子は、どうやらヴィクターが思いを寄せていた子らしい。母親はそれが気に入らなくて、ウィニーが訪ねてきてもヴィクターには黙っていた。そして、湖畔で彼を待つようにウィニーに嘘を言い、そのまま彼女は殺された。真実を知らされて愕然とするヴィクター。そのウィニーと、2部の「女」との運命がパラレルになっている。だから彼女に名前がなかったのかな。

 

 母親は夫に、自分の黒髪を「インディアン(以下、戯曲で使われている言葉どおり)の娘のようだ」と褒められて結婚しました。で、それ以来シャイアン族に憧れ、馬にまたがって草原を駆け抜けたいと夢想する。開拓者と戦ったインディアンは、ヴィクターの中で、イギリスと戦うIRAと重なったのかも。彼は母に認められたいために、自分を証明しようと、インディアンならぬIRAに入ったのかなと思ってしまいました。

 ここでヴィクターが母を安楽死させるのは、憎しみからではなく、苦しみから解放してあげるためだと思う。母は夫が来てくれるのを待ち続けているから、そこに送ってあげたのかな。ヴィクターは自分のミドルイニシャル「M」を、1部では「murder」のMだと言って無慈悲に殺したけど、ここでは「mercy」のMだと言うから、この殺人=慈悲なのかと。

 母が死んだ後ヴィクターは、テーブルに飾ってあった、馬に乗ったインディアンの置物にデスクランプを当て、ベッドの後ろの壁に影を映します。巨大なその影はまるで天翔けるペガサスのよう ペガサス これに母を乗せて天国へ送ろうという、ヴィクターの最後の優しさでしたね。

 2部と3部で自分の思い出を殺すことで、過去にカタをつけていったヴィクター。自分を証明する必要がなくなったいま、最後は自分自信も清算するのかな。

 

 松坂桃李は殺人鬼となった心の闇を鮮やかに演じてみせたと思う。1部でのぶっ飛んだ動きとセリフは神懸かっていたし、2部3部では心のヒダを丁寧に見せた。重い過去を引きずって悲しさや苦悩を隠してきたヴィクターに、ついつい同情を抱いてしまい、いや1部2部の残酷なヴィクターも真実なんだと思い直したりしました。

 2部で女を演じた趣里がとても良かった。最初から死を覚悟している陰をまとった雰囲気、思い出を語るときのキラキラした表情、見逃してと懇願する哀切さ。演技を繊細に変える巧みさがあります。運命を受け入れている潔さや、自分の足で立っている芯の強さもありました。思い出の曲に身体を揺らしてヴィクターの銃弾を待つ最期の姿が泣けた。

 3部の母親役の高橋恵子は貫禄と包容力があり、正気と痴呆、老女と幼女を行き来する演技が素晴らしい。観客を深い迷路に引きずり込むようです。自分の世界に入り込んで独り言をつぶやいても、どこかで正気になってヴィクターを愛おしむようなときがあり、ヴィクターの中に自分を見て哀れんでいる、そんな風にも見えました。

 

 あと、翻訳の問題だけど、「ma」を「母ちゃん」と言わせるのは日本語として、とても違和感ありました 凹 たとえ「ma」が非常にくだけた言い方で、ヴィクターが幼児性を残しているという解釈にしても、「母さん」じゃダメなの?

 

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