練習後、Dは家へ帰ると、母が夕飯を調理して待っていてくれた。食卓には山形でも消費量日本一のしょうゆラーメンがあり、その他にも米沢牛や鯉の刺し身、リンゴ、サクランボなどが並んでいた。その他にも、成長期の娘Dの体力面のことを想って、野菜も多く食卓にのぼる。芋煮や玉こんにゃく、どんがら汁などの山形の郷土料理は母の愛情だ。
→Close-Up→それらの料理を映像がとらえる
Dの母は特別支援学校の教師をしていて、この家庭は母子家庭のため、自治体から支援を受けて、特別給付金をいただいていたり、職場の取り計らいで、午後5時に退社させていただいている。無論、アフター5は家庭のことで、まだ義務教育課程(高校への進学率や、授業料の無償化がいまや高校にまで波及しているので。また、ここでは特別支援教育による課程や年齢を考慮)のDのためであると、職場側の理解を得ている。
Dが陸上競技部の練習後の練習着を洗濯機の中に入れ、その洗濯物を見に行った母は、
母:「今日も随分と練習してきたみたいね。汗でずぶずぶよ」
D:「この冬場が正念場だからね」
母:「洗剤も買い込んできたわ」
Dはそれを受けて、小さく笑った。そして、食卓のテーブルに着くと、早速料理に箸を伸ばす。母が食事を食べながら、特別支援学校の職場の仕事をことを話す。
母:「特別支援教育とは、障害のある子どもがいきいきと学び、やがて地域社会の市民として社会参加できるように支援する教育という意味。特別支援学校の教諭として、その教諭として共通する特徴は、子どもが大好きで、一緒に遊び、活動し、子どもの興味や気持ちに関心を寄せることができること」
D:「お母さんは障害のある子を見てきて、パラリンピックの見方が変わったと言っていた」
母:「そうね。あなたが陸上をやっているのもそうだけど、それとマッチして、パラリンピックを応援したくなっちゃう」
D:「で、仕事はそれだけ?」
母:「ううん。まだまだ。特別支援教育は、今まで『特殊教育』、『障害児教育』といわれてきたけど、2007年度からは大きな目標を掲げ、現在の制度がスタートした。制度の発足にあたって文部科学省が全国の関係者に送った文書には、『特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒への教育にとどまらず、障害の有無やその他の個々の違いを認識しつつ様々な人々が生き生きと活躍できる共生社会の形成の基礎となるものであり、我が国の現在および将来の社会にとって重要な意味を持っている』と記されている」
そういう話をすると、母も得意げになるのは仕事に誇りを持っているからだろう。Dもそう推察できている。
そんな折、母が子供の成長を見守るとともに、厳しい練習を積んでいるDにそれとなく聞いてみる。
母:「陸上の練習は?」
D:「うん。辛い時はもちろんあるよ。もちろん、過去には辞めたいと思ったことは何度かある」
母:「そういう時はどうやって乗り越えたの?」
D:「お母さんと一緒だよ。仕事で辛い時もあったでしょ?そんな時にふと同僚からかけられたちょっとした優しい言葉であったり、相談をもちかけられる顧問監督(職場の上司)であったり、そして、お母さん(家族)であったり…」
それを聞いて、娘のDが健やかに高校生活を送っていることを推知できた。栄養のある食事も明日への活力となる。そう信じて、切り詰めた家計を余儀なくされながら、食事の栄養面だけは、娘の陸上のためにと労を惜しまなかった。それだけは母は責任をもってやってきたと自負できる。
・『特別支援学校教諭になるには』(ぺりかん社/松矢勝宏、宮﨑英憲、高野聡子 編著)