https://www.thomasnelsonbibles.com/blog/the-holy-spirit-in-the-old-testament/

 

昨日の礼拝で、「イエス・キリストの霊」について特に触れられることなく説教が進んでいき、却って気になり引照を伝っていった。終えてみて欠けていることがあると気が付き、聖霊はどうだと検索してみた。新約にしか出てこなかった。旧約では別の言葉になっているのだろうと、いったん英語で検索してみたら、コンパクトに纏められているサイトがあった。

 

この簡単な7項目の説明と聖書箇所によって、Trinityについてのなるほどが最短距離で示されている。アウグスティヌス『三位一体』でも持て余しているが、どうもとどめを刺した人がいるらしい。J.モルトマンだ。何度か礼拝や神学講座で聞いた名前だ。韓国の長老派の人の論文の翻訳がヒットしたので浚ってみたが、古本でも読む価値がありそうだった。ポチ。

 

 

三位一体の神(父、子、聖霊)の親密な相互作用、特に聖霊の力強い役割について、旧約聖書の中でイザヤの主のしもべの預言(イザヤ42:1-9)ほど明確な記述はない。この箇所は、失われた者の救済における三位一体のすべての位格の贖いの御業を要約している。このように、この箇所は旧約聖書と新約聖書の神の恵みに関する理解を見事に調和させている。また、聖霊についての理解にも光を与えている。

 

イザヤ書/ 42章 01-09節
見よ、私が支える僕/私の心が喜びとする、私の選んだ者を。/私は彼に私の霊を授け/彼は諸国民に公正をもたらす。 

彼は叫ばず、声を上げず、巷にその声を響かせない。 
傷ついた葦を折らず/くすぶる灯心の火を消さず/忠実に公正をもたらす。 

彼は衰えず、押し潰されず/ついには、地に公正を確立する。/島々は彼の教えを待ち望む。 

天を創造し、これを延べ/地とそこから生ずるものを広げ/その上に住む民に息を与え/その中を歩む者に霊を授けられる方/主である神はこう言われる。 

主である私は義をもってあなたを呼び/あなたの手を取り、あなたを守り/あなたを民の契約とし、諸国民の光とした。 

目の見えない人の目を開き/捕らわれ人を牢獄から/闇に住む者を獄屋から連れ出すためである。 

私は主、これが私の名。/私の栄光を他の者に/私の誉れを偶像に与えることはない。 

見よ、先にあったことは実現した。/そこで、私は新しいことを告げよう。/それが起こる前に/私はあなたがたに聞かせよう。

 

聖霊は創造に参加された(創世記1:2、ヨブ記26:13、イザヤ書32:15)。

 

創世記/ 01章 02節

地は混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

 

ヨブ記/ 26章 13節

その息によって天は晴れ渡り/御手は逃げる蛇を刺し貫く。

 

イザヤ書/ 32章 15節

しかし、ついに、高き所から/霊が私たちの上に注がれる。/すると、荒れ野は果樹園となり/果樹園は森と見なされる。

 

2. 聖霊は人類と他の被造物に命を与える(詩篇104:29、30)。創世記の中で、神が人々の鼻孔に "いのちの息 "を吹き込むことによっていのちを授けると述べている(創世記2:7)。

 

詩編/ 104編 029節

御顔を隠すと、彼らは恐れ/息を取り去ると、彼らは息絶えて/塵に帰る。

 

創世記/ 02章 07節

神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。人はこうして生きる者となった。

 

3. 御霊は罪人と共に努力し(創世記6:3)、それはおそらく、人々に罪を確信させる御業(ヨハネ16:8-11)と関連している。

 

創世記/ 06章 03節

主は言われた。「私の霊が人の内に永遠にとどまることはない。人もまた肉にすぎない。その生涯は百二十年であろう。」

 

ヨハネによる福音書/ 16章 08-11節
その方が来れば、罪について、義について、また裁きについて、世の誤りを明らかにする。罪についてとは、彼らが私を信じないこと、義についてとは、私が父のもとに行き、あなたがたがもはや私を見なくなること、 また裁きについてとは、この世の支配者が裁かれたことである。

 

4. 例えば、ヨシュア(民数記27:18)、オトニエル(士師記3:10)、ギデオン(士師記6:34)、サムソン(士師記13:25、14:6)、サウル(サムエル記上10:9、10)。しかし、彼の不従順のゆえに、後に御霊はサウルから離れた(サムエル記上16:14)。

 

民数記/ 27章 18節

主はモーセに言われた。「あなたは、霊に満たされた人ヌンの子ヨシュアを選び取り、あなたの手を彼の上に置き、

 

士師記/ 03章 10節

主の霊が彼に臨み、彼はイスラエルを治めた。彼が戦いに出ると、主はアラムの王、クシャン・リシュアタイムを彼の手に渡された。オトニエルの力はクシャン・リシュアタイムよりも強く、

 

士師記/ 06章 34節

一方、ギデオンは主の霊に包まれた。彼が角笛を吹き鳴らすと、アビエゼルの人々がそれに応えて集まった。

 

士師記/ 13章 25節

主の霊は、ツォルアとエシュタオルの間にあるマハネ・ダンで、サムソンを奮い立たせ始めた。

 

士師記/ 14章 06節

その時、主の霊が激しく降り、サムソンは素手で、子山羊を引き裂くようにライオンを引き裂いた。彼は自分の行ったことを両親に伝えなかった。

 

サムエル記上/ 10章 09-10節

サウルがサムエルと別れて帰途に着いたとき、神はサウルの心を別人のようにされた。こうしてこれらのしるしはすべてその日に起こった。彼らがギブアにやって来ると、預言者の一団に出会った。すると神の霊が彼に激しく降り、サウルは彼らのただ中で預言者のようになった。

 

サムエル記上/ 16章 14節

主の霊はサウルから離れて、主からの悪い霊が彼をさいなむようになった。

 

5. 御霊は、旧約聖書の預言の長いスパンで重要な役割を果たした。ダビデは、「主の霊が私によって語り、主の言葉が私の舌の上にあった」(サムエル記下23:2)と宣言した。同様に、エゼキエルは、「主が私に語られたとき、御霊が私に臨まれた」(エゼキエル2:2)と報告している。

 

サムエル記下/ 23章 02節

主の霊は私の内に語り/主の言葉は私の舌の上にある。

 

エゼキエル書/ 02章 02節

主が語られたとき、霊が私の中に入り、私を自分の足で立たせた。私は、語りかける者に耳を傾けた。

 

6. 御霊は旧約聖書の信者に聖さを鼓舞した(詩篇143:10)。そして聖書は、いつの日か神が御霊をご自分の民のうちに置かれ、彼らが神の定めに従って生きるようになると約束している(エゼキエル36:27)。

 

詩編/ 143編 010節

御旨を行うすべを教えてください。/あなたは私の神です。/あなたの恵み深い霊が平らな地で/私を導いてくださいますように。

 

エゼキエル書/ 36章 27節

私の霊をあなたがたの内に授け、私の掟に従って歩ませ、私の法を守り行わせる。

 

7. 御霊は、神の民がメシアの働きを予期する上で極めて重要であった。例えば、イザヤ11:1-5は、父、御霊、そしてヤシの枝である御子の働きを三位一体的に予告している。イエス・キリストの働きを前にして、聖霊はイザヤにこう預言させた: 「主の霊が彼の上に宿り」(イザヤ11:2)、神に選ばれた者に知恵、理解、助言、力、知識、主への畏れ、義、忠実を与える。こうして私たちは、イエスがこの預言の成就者であると主張した新約聖書(イザヤ61:1,2、ルカ4:18,19)へと一巡する。

 

イザヤ書/ 11章 01-05節
エッサイの株から一つの芽が萌え出で/その根から若枝が育ち 

その上に主の霊がとどまる。/知恵と分別の霊/思慮と勇気の霊/主を知り、畏れる霊。 

彼は主を畏れることを喜ぶ。/その目の見えるところによって裁かず/その耳の聞くところによって判決を下さない。 

弱い者たちを正義によって裁き/地の苦しむ者たちのために公平な判決を下す。/その口の杖によって地を打ち/その唇の息によって悪人を殺す。 

正義はその腰の帯となり/真実はその身の帯となる。

 

イザヤ書/ 61章 01-02節
主なる神の霊が私に臨んだ。/主が私に油を注いだからである。/苦しむ人に良い知らせを伝えるため/主が私を遣わされた。/心の打ち砕かれた人を包み/捕らわれ人に自由を/つながれている人に解放を告げるために。 

主の恵みの年と/私たちの神の報復の日とを告げ/すべての嘆く人を慰めるために。

 

ルカによる福音書/ 04章 18-19節
「主の霊が私に臨んだ。/貧しい人に福音を告げ知らせるために/主が私に油を注がれたからである。/主が私を遣わされたのは/捕らわれている人に解放を/目の見えない人に視力の回復を告げ/打ちひしがれている人を自由にし 主の恵みの年を告げるためである。」