ジョーカーにみる救いのなさ、そしてタクシードライバー | タイフルーツ紀行

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バンコクへの移動の機内で「ジョーカー」。さすがに公開からだいぶ時間が経っているので、この監督のスコセッシ映画への傾倒、ホアキン・フェニックスのアカデミー賞主演男優賞など事前情報満載で期待度大で観ました。

 

居場所がなく、社会から疎外されていると感じている男が鬱屈と狂気の中で「自分にとっての悪」となった相手を射殺していく、という点では僕の最も好きな映画の一つである「タクシードライバー」と非常に近い設定。

 

こういうエキセントリック系の演技は過剰に評価される傾向があると思いますが、それでも主役の演技は凄くて絶賛されているのが納得の出来の映画でした。ただ僕としてはこの「ジョーカー」、敵を裁くことで完全に自分が「社会の悪」に落ちることになっており、多くの観客にこれが支持されている世の中ならば分断が進みすぎているし、救いがなさすぎると感じました。そういう意味で後味は良くない。

 

 

「タクシードライバー」の場合には制裁相手が「ジョーカー」のように富裕層や成功者ではなく、売春宿というわかりやすい悪であったため、また若きデニーロの格好良さもあり英雄扱いされることも不自然ではない(本当はかなり都合の良い展開ながら)ことになっていました。そこで観る側としてはある種ロマンチシズムを感じることができたと思います。

 

エンディングシーンも良かったですね。ルームミラーに写るデニーロの眼の動き、そしてニューヨークの夜のカクテルライトが孤独とまだ眼に宿る一瞬の狂気を捉えていて最高です。