『キャタピラー』 (2010) 若松孝二監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~


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絵画や彫刻の鑑識眼を養うことにはあまり興味はないが、作品を観ること自体はそこそこ好きで、度々美術館に足を運んでいる。しかし、目利きを目指すつもりは毛頭ないため、解説もまともに読まずにただ単に目の保養をしているだけである。そして自分の評価の基準は、ただ単に「好きか嫌いか」、そして「自分の部屋に飾りたいかそうでないか」だけである。つまり芸術的価値が高くても、自分が好きになれないという作品も少なくない。勿論、逆もある。

 

なぜこの作品のレビューをそのように書き出したかというと、この作品はとてもいいと思うのだが、到底好きになれないからである。傷痍軍人の帰還というモチーフは、ダルトン・トランボの『ジョニーは戦場へ行った』を参考にしていると思われるが、この作品のインパクトは反戦映画の秀作と言われる『ジョニーは戦場へ行った』を上回っていると感じた。しかし、ここまで戦争の矛盾と人間の醜さをダイレクトに突きつけられると正直へこたれてしまった。

 

観客は冒頭、戦地から四肢を失い、顔半分を火傷した黒川久蔵(大西信満)を見た妻シゲ子(寺島しのぶ)が嫌悪し半狂乱になるシーンでドン引きさせられる(ただその時点では、久蔵の姿は映し出されておらず、家族の茫然とした表情のみが映されるというのはうまい)。どんな姿になろうとも、生きて帰ってきてよかったという喜びの微塵もない、即ち愛情が全く欠如した妻の絶望の理由は映画中盤で明かされる。それは、妻の不妊を理由にした夫の出征前の恒常的なDVであった。久蔵の出征を皆で万歳しながら見送るシーンが数度挿入されるが、その時のシゲ子の得も言われぬ、少なくとも悲しいであるとか誇らしげに思うとは全く違う表情が妻の心情を表していた。

 

戦地では強姦と殺戮を繰り返していた男が、帰還して「軍神」と崇められることの強烈なアイロニー。この毒気に満ちた反戦のメッセージは、いかにも若松孝二監督らしいと感じる。

 

ただ、納得のいかないところもあった。出征前と後では夫と妻のフィジカルな支配関係が逆転することで、精神的にも主従の関係が逆転する設定はいいのだが、久蔵の性欲を嫌悪していたシゲ子が積極的に体を求めるシーンで、久蔵が戦地で犯したレイプシーンがフラッシュバックし萎えてしまうというもの。そのシーンが成り立つには、シゲ子が体を求める理由は相手を凌辱する意図があるというものだが、シゲ子がそのような心境になるものだろうか。また、久蔵のPTSDが喚起されるとすれば、シゲ子が体を求める時ではなく、性的行為にシゲ子の嫌悪を感じる時ではないだろうか。

 

また終戦のシーンで、篠原勝之演じる痴呆者が万歳を叫んで村を走り、それにつられてシゲ子も万歳と応えるのだが、彼女がダルマとなった久蔵を介護するインセンティブは、妻としてではなく、一国民として「軍神」に仕えるというもの。であれば、終戦によって彼女の自尊心は失われてしまうのはないだろうか。万歳を唱える気分になるとは思いにくい。

 

エンディングのテロップで、原爆被害者の数や第二次世界大戦の死者数やBC級戦犯死刑数が流され、戦争は国家による殺人であることが訴えられている。

 

戦争の非道さや人間の醜さを直視させられる作品として評価されるべきだが、シゲ子があまりにも痛々しくて自分には辛い作品だった。『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉の原作があまりにも素晴らしく、それに比すると映画化作品は案外だった印象)でも共演した寺島しのぶと大西信満の演技は迫力十分だった。

 

★★★★ (4/10)

 

『キャタピラー』予告編

 

 

 

 

 

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