『教誨師』 (2018) 佐向大監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~


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死刑囚の教誨師を務めるプロテスタントの牧師・佐伯保は、月に2度拘置所を訪れ、6人の死刑囚と面会する。無言を貫く者、饒舌に思いを語る者、罪を他人のせいにする者、攻撃的な態度をとり続ける者。佐伯は彼らに聖書の言葉を伝え、彼らに寄り添って話に耳を傾け、悔い改めることで安らかな最期を迎えられるよう対話を重ねる。佐伯自身は、牧師として自分は正しいのかと葛藤する日々を送っていた。その葛藤を通して忘れたい過去と対峙し、自らの人生と向き合うことになる。そして、ある受刑者に死刑執行命令が下される。

 

日本映画界の名バイプレイヤー・大杉漣の初プロデュース作品にして彼の遺作。彼を最初に見たのは、北野武監督の『ソナチネ』だったが、それ以来少なからず観てきた出演作品の中で、彼の台詞が最も多い作品だった。

 

作品の時間のほぼ全てが、拘置所の一室での教誨師・佐伯と6人の死刑囚との対話。つまり映像としての変化は極端に乏しいが、だからといって飽きることがないのは、死を待つばかりの人間に対して、「よりよく生きよ」という教誨師の仕事が矛盾に満ちているからこそ興味深いためであろう。そして、その矛盾ゆえに佐伯は葛藤している。

 

6人の死刑囚との触れ合いは、それぞれにドラマ性があるのだが、佐伯のリアクションはある意味想定内。親身になって聞き、相手の気持ちに寄り添えば、それなりの箴言は口にすることができるだろう。その点、6人のうち唯一そのリアクションが想定できなかった、相模原障害者施設殺傷事件の植松聖をモデルにしたであろう、高宮真司とのやり取りが格段に興味深かった。優生思想に基づき17人を殺害した高宮真司を演じるのは舞台俳優玉置玲央。この作品が映画初出演。

 

「牛や豚を殺して食べてもいいのに、なぜイルカはだめなのか」と問われ、佐伯は「知能が高いからでしょう」と答える。「じゃ牧師さんも、俺と同じなんだ。知能が低い動物は殺してもいいってことでしょ」と言われた佐伯は「動物と人間は同じじゃない!」と声を荒げる。ほかの死刑囚には終始穏やかに接する佐伯だったが、攻撃的に挑戦し続ける高宮には感情的にならざるを得ない。普通の人間であれば、冷静に話をすることすら困難な相手にどのように寄り添うのか。そこに教誨師の真骨頂を見た。

 

佐伯は高宮にこう答える。

「私は高宮さんが怖いんです。なぜ怖いか。あなたを知らないからです。だから、あなたを知りたい。でも知ることは理解することじゃない。私の役目は穴をみつめることだと思います。あいてしまった穴のそばで決して逃げずに穴をみつめることじゃないか。私はあなたのそばにいます」

 

そして高宮は佐伯に感謝の意を伝える瞬間があるのだが、それがこの作品のクライマックスである。

 

佐伯を捉えるカメラは手持ちで、常に揺れているのに、対話する死刑囚を捉えるカメラは固定。観客には、佐伯を観る目は主観であり、死刑囚と同じ目で見る効果を感じた。

 

個人的にはエンディングは不満。元ホームレスの進藤正一は、知人に騙されて借金の保証人となり、その借金を背負うことになっても「金持ちになったような気分だった」と言ってのけ、佐伯に「苦労なさったでしょう」と言われても、その借金を押し付けた知人の方が大変だったろうと気遣うような人物。文盲だった彼が、佐伯に字を習って、残したメッセージが「あなたがたのうち、だれがわたしのつみをというるのか」というのはピンと来ない。「罪なき者が、まず石を投げよ」を想起させる言葉を、彼が思うことは似合わないように感じた。結果、第四の壁を破るかのような佐伯の視線も「お前はどうなんだ」と説教臭く感じられた。

 

「教誨師とは」という単なる特殊な職業を紹介する作品ではなく、「なぜ生きるのか」を問う作品として観る価値はある。

 

R.I.P. 大杉漣

 

★★★★★★ (6/10)

 

『教誨師』予告編

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