『現金に体を張れ』 (1956) スタンリー・キューブリック監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~


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スタンリー・キューブリックが最初に名を成したのは1960年の『スパルタカス』であろうが、それはキューブリックの作品と言うよりは主演かつエグゼクティブ・プロデューサーであるカーク・ダグラスの作品であり、やはりキューブリックが世に出たのは、『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(1964年)からのSF三部作と言っていいだろう。

 

本作は、彼のハリウッド進出第一作目。それ以前の作品では製作費の回収もままならなかったキューブリックだが、徐々に認知され始めたということだろう(ゆえにカーク・ダグラスの目に止まり、『スパルタカス』監督に抜擢された)。

 

「キューブリックらしさ」と言えば、脚本や編集での「鬼気迫る」あるいは「妖艶な」独特なセンスと切れであり、映像的には広角レンズを多用したシンメトリーな構図がいかにもという感じだが、初期のこの作品には、彼らしさはまだ穏やか。但し、室内での撮影の極端な遠近感や、「キューブリック凝視(Kubrick stare)」と批評家に名付けられた、作品中の恐怖演出として陰影を強く演出した上で、上目遣いで画面を睨み付けるという役者の演技はこの作品でも見受けられる。

 

この作品は、当時の流行であるフィルム・ノワールの作品。ゆえにキューブリックと言うよりは、むしろオーソン・ウェルズやアルフレッド・ヒッチコックといった雰囲気の作品。

 

フィルム・ノワールは、影やコントラストを多用した色調やセットで撮影され(その全盛期はモノクロ作品が多い)、行き場のない閉塞感が作品全体を覆っている。夜間のシーンが多いのも特徴的である。また多くのフィルム・ノワールには、男を堕落させる「ファム・ファタール」(運命の女、魔性の女)が登場し、そのほかの登場人物は、職業倫理や人格面で、堕落または破綻しているキャラクターとして描かれている。そして彼らは、シニカルな人生観や、悲観的な世界観に支配され、裏切りや、無慈悲な仕打ち、支配欲などが描かれ、それに伴う主人公の破滅がストーリーの核となることが多い。この作品もまさにそうしたパターンを踏襲している。

 

また特徴的なのは、時刻を克明に示しながら、小説で言えばト書きのような説明を挿入して、時系列が前後し、違う登場人物の観点から同じシーンが繰り返される構造になっていること。タランティーノが得意とする手法だが、この作品でもそれがいい効果を生んでいた。

 

ただ、競馬場から現金強奪をする「仕掛け」は現代の視点からすると穴は多く、「これはうまく行かないだろうな」と思ってしまった。

 

エンディングはなかなか印象的。飛び散る紙幣の様が、まさに主人公の華々しい破滅を象徴していた。

 

キューブリックの作品というよりは、フィルム・ノワールの秀作として観るべきであり、キューブリックらしさはやはりSF三部作を待たなければというところだろう。

 

★★★★★ (5/10)

 

『現金に体を張れ』予告編

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