岡崎京子原作の映画化と言えば、蜷川実花監督の『ヘルタースケルター』(2012年)がある。アートな感覚によるニナミカ・ワールドを期待したが、結果は案外だった。空気感を意識し過ぎて、作品としてはつまらないと感じた。

 

そして行定勲監督。これまで彼の作品でよかったと言えば、せいぜいが『今度は愛妻家』(2010年)。出世作の『GO』(2001年)は原作の方がよほどよかったし(柴咲コウ演じる桜井のイメージが、原作と大きく異なったことによるところが大きい)、ハーラン・エリスンの短編集の邦題をパクったタイトルでバカ受けした、行定勲の代表作とされる『世界の中心で愛を叫ぶ』(2004年)は全く印象に残っていない。近作でも、全編中国語のセリフで通した三浦春馬の頑張りは認めても『真夜中の五分前』(2014年)はかったるかったし、ロマンポルノを撮った『ジムノペディに乱れて』(2016年)は「ロマンポルノ・リブート・プロジェクト」のほかの作品を観る気を失わせる出来だった。きれいでそつないが、面白みに欠ける作品が多い行定勲監督が、岡崎京子の世界観を描くというイメージがあまりできなかったと言ってもいいだろう。しかし、その予想はいい方に裏切られた。

 

マンガと映画の創作手法上の違いは、マンガはト書きで登場人物の心象風景をダイレクトに描写できるのに対し、映画はそれができない。本作ではその代わりに、登場人物がインタビューを受けてそれに答えるという映像を挿入することで、彼らの心理やキャラクターを浮きだたせようとしていた(これが原作との大きな違いと言えば違い)。ただこれは個人的には、唐突過ぎて、「誰が何のためにインタビューしてるの?」という素朴な疑問がどうしても引っかかった。

 

スクリーンのサイズが通常の映画のサイズではなく、4:3のスタンダード・サイズで撮られており、登場人物の「閉塞した世界観」を印象付けたいのだろうとは理解したが、それも大した効果があるとは感じられなかった。

 

そうした小手先の技法ではなく、この作品のよさは、まず原作のストーリーを丹念に描いていること。ディテールの違いはあっても、大きな逸脱、改変はない。そして、映画の(マンガに対する)最大のメリットである、役者の演技をうまく引き出していること。田島カンナが青色のセーターを編みながらその目に宿る狂気を森川葵はうまく表現していたし、田島カンナが焼身死した焼け焦げの死体を見て山田一郎演ずる吉沢亮の表情が驚きから歓喜へと変わっていくところなども印象的だった。

 

役者の演技をうまく引き出しているのが、この作品における行定勲監督のうまさであり最大の功績と言える。とは言いながら、作品の最初から最後までぬぐえなかった違和感は設定と役者の実年齢の差。それもそのはず、主要な登場人物は高校生なのだが、演じる役者は全てその設定から6-7歳年上。どう見ても高校生には見えなかった。高校生に見える俳優を選ぶのではなく、演技を優先して彼らを選んだのであれば、設定を実年齢に近い大学生に変えても、ストーリー上の大きな破綻はなかったはず。

 

小山ルミを演じる土居志央梨の体当たりの演技は、作品にリアリティを与えていた。吉川こずえを演じるSUMIREの演技は、親の七光りと言わせない(浅野忠信xチャラ)存在感があった。地味ながら、引きこもりの小山ルミの姉を演じた女優の演技もよかった。

 

その中で、主役の二階堂ふみの演技は正直今一つ。『ヒミズ』(2012年)や『私の男』(2014年)での存在感を自ら押し込めたような演技が、彼女のよさを消しているように感じた。

 

青春作品と言えば、何か甘酸っぱく夢と希望にあふれているもののはずだが、原作にある、抑圧された何か、ぼんやりとした不安、鬱屈とした閉塞感、突発する暴力衝動といった内向きのエネルギーを、原作のよさを殺さず、実写によってよりビビッドで印象的にすることに成功した紛れもない青春作品。

 

岡崎京子ファンにも勧められるし、非岡崎京子ファンにも勧められる作品。

 

★★★★★★ (6/10)

 

『リバーズ・エッジ』予告編