プロの賭けビリヤード師として生きる"ファースト・エディ”ことエディ・フェルソン(ポール・ニューマン)。自分こそが最強の「ハスラー」だと信じるエディは、15年間不敗という伝説を持つ"ミネソタ・ファッツ"に勝負を挑む。一時はファッツ相手に優位だったエディだったが、一昼夜を越える死闘の末、憔悴したエディはファッツの強靭な精神力の前に完敗する。それは、その試合を観戦していたプロの賭博師バートが、エディを負け犬呼ばわりした展開そのものだった。自暴自棄になるエディだったが、傷心の彼を救ったのはその頃偶然出会ったサラ(パイパー・ローリー)だった。彼らはお互いに惹かれ合い、彼女のアパートで暮らすようになる。そんなある日、エディはバートと再会するが、バートはエディを再び負け犬呼ばわりし、ファッツに勝つためにはビリヤードの才能だけではなく「品性(character)」が不可欠だと言う。75%の取り分で胴元になるというバートの申し出を拒否したエディだったが、場末のビリヤード場で因縁をつけられ両親指を折られてしまう。サラの献身的な介護もあって傷が癒えたエディはバートの提案を受け入れることを決意する。エディはバートの手引きで地方の有力者とビリヤード賭博をすることになった。しかし、そのゲームはエディの慣れない四つ玉であり、苦戦を強いられる。サラは、エディの周りにいる者は皆、私利や私欲にまみれた醜い者たちであり、彼らから去ろうと懇願するが、エディは目先の勝負に囚われサラを追い返してしまう。ホテルに一足先に帰ったサラだったが、彼女の身に悲劇が起こる。

 

この映画の主人公はと言えば、勿論、ポール・ニューマン演じる"ファースト・エディ"なのだろうが、この作品を単にビリヤードを題材とした、エディが苦悩に打ち勝つ成長物語として捉えてしまうと、この作品の持つ「滋味」を味わえないように思う。

 

この作品をサラの視点から見ることによって、ぐっとこの作品の複雑さは増してくる。

 

まず、エディがファッツとの勝負に敗れ、マネジャーのチャーリーと袂を分かった後、彼がエディを探してサラのアパートを訪れるシーン。以前のように賭けビリヤードで一儲けしようと持ち掛けるチャーリーに、エディは自分の夢はそんなチンケなものじゃなく、足を引っ張られるのはまっぴらごめんだと言い放つ。サラは背中で聞きながら、一人涙を流す。この時点では、彼女の涙の意味が分からなかった。

 

また、エディとサラが瀟洒なレストランでディナーをするシーン。それは、エディにとっては、バートと共にしばらく街を離れて大きな勝負に挑むしばしの別れのつもりだったのだが、それを聞いたサラはパニックに陥って店を飛び出してしまう。この時点でも、彼女のオーバーリアクションの理由が分からなかった。

 

それらは、二人の関係の悲劇的な結末がサラによってもたらされた時に、ようやく納得できる。

 

出会った当初、「私たちはお互い問題を抱えているわ。このままお互いに関わり合わない方がいいわ」と言うサラを取り合わなかったエディ。エディの愛を信じたいのに、エディはビリヤードで頂点を目指す夢に囚われて、自分ですら見失うことがサラにとっては不安で仕方がなかったのだろう。

 

エディが、地方の有力者との四つ玉の勝負で劣勢になり、追加の資金援助をバートに懇願している姿を見たサラは、「あなたの周りの人は皆、異常で、心がねじ曲がり、かたわものよ(perverted, twisted, crippled)。気付いて!」と訴えるが、エディは勝負に目がくらんで彼女の言葉を理解しない。

 

サラが最後のメッセージとして、鏡に同じ言葉を書きなぐるのだが、ポリオで足が不自由な彼女がエディの周りに群がる人を「crippled」と非難することに痛烈な皮肉を感じた。

 

この作品は、人を愛することで不安になり、その不安を自ら実現させてしまうという悲恋の物語であると、自分は受け止めた。

 

そして、エディが自分の気持ちに気づいた時には時すでに遅しであった。

 

サラを演じたパイパー・ローリーは、この作品後、結婚・出産・育児のため長らく作品に姿を見せなかった。彼女の次作となるのは、15年後の『キャリー』でキャリーの母親役であった。

 

この作品を観る機会があれば、是非、隠れた主役として、サラのひきちぎられる想いに心を寄せて鑑賞してほしい。そうすれば、この作品の違った一面が観られるであろう。

 

★★★★★★★ (7/10) 

 

『ハスラー』予告編

 

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