『ガンジー』 (1982) リチャード・アッテンボロー監督

Tue, July 11, 2017 19:25:49 Theme: 洋画 カ行

 

ガンジー語録をツイッターでフォローしていながらも、ガンジーがどのようにしてインドの「独立の父」と呼ばれるに至ったかを知ることは今までなかった。彼の伝記的本作は、そのいい機会だった。

 

一番印象的だったことは、彼の「不服従主義」がいかに「無抵抗主義」と違うかがよく分かったこと。彼や彼の信奉者は、イギリスの圧政に対し徹底的に抗戦・抵抗していたのだが、それは暴力に訴えるのではなく、一歩も引かないという勇気によるものだった。この困難な選択を、多くのインド人が選んだというのも驚きだった。それほど、非暴力主義は言葉で言うほど簡単ではないということがよく描かれていた。

 

彼は結局、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の内戦を収拾しきれず、ヒンドゥー原理主義者によって暗殺される(映画は冒頭で暗殺シーンが描かれ、それから時間は遡っている)。イギリスからの独立を勝ち取ったが、国内の宗教的融和は為し得なかったということは、分離は比較的容易でも融合は難しいということであろう。そして、インドの国教でもあるヒンドゥー教徒に、インド独立の最大の貢献者が暗殺されたというのも歴史的皮肉であろう(ガンジー自身は、ヒンドゥー教徒でもあり、イスラム教徒でもあり、キリスト教徒でもあった)。

 

彼の唱えた「非暴力・不服従主義」は、この映画にも描かれている「塩の行進」において、イギリス兵に棍棒で殴られながらも、次々と隊列を作って行進していく様に鮮烈に描かれている。この情景を目にすれば、ガンジーが、,第二次世界大戦でナチスによって虐殺されたユダヤ人を非難するかのように受け止めることもできる次の言葉も理解できる。

 

「ヒトラーは500万人のユダヤ人を殺した。これは我々の時代において最大の犯罪だ。しかしユダヤ人は、自らを屠殺人のナイフの下に差しだしたのだ。かれらは崖から海に身投げすべきだった。英雄的な行為となっただろうに。」

 

しかし、映画の終盤、ガンジーがヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和のため、死を賭して断食を行うという行動が度重なるにつれ、正直、それが正しかったのか疑わしいと感じた。彼のわがままというにはあまりに崇高な意図から発した行動だが、結局、彼を信奉しない人にとっては、効果がなかっただろうから。

 

人類の歴史を知る上で重要な人物の一人であるガンジーを知るには、うってつけの題材と言える。

 

★★★★★★ (6/10)

 

『ガンジー』予告編

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