『ブラックホーク・ダウン』 (2001) リドリー・スコット監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~



1980年代から続くソマリア内戦に介入したアメリカ軍とソマリア民兵との間で起こった「モガデシュの戦闘」を映画化した『ブラックホーク・ダウン』を久々に再観賞。

「モガデシュの戦闘」では、当初30分程度で終了する予定の任務が、夜をまたいで15時間にもおよび、多くの犠牲者(アメリカ兵18人+国連軍兵1人、対してソマリア民兵の死者は350人以上―アメリカは1000人以上と発表し、映画のエンドロールではその数字が使われていた)を出した。

実在のこの戦闘は、ソマリアの国連活動の中でアメリカ軍が直面したもっとも激しい市街戦のうちの1つであった。この戦いの後、死亡した米兵の遺体が裸にされ、住民に引きずり回されるという悲惨な映像が公開され、アメリカのニュース番組で放映された。これに衝撃を受けたアメリカ国民の間で撤退論が高まり、クリントン大統領はソマリアからの撤兵を決定。以降アメリカは、地上軍ではなくミサイルや航空機によるハイテク戦争への方向を推し進めていくことになる。

実際の史実に基づく場合、ディテールは必ずしも正確である必要はないが、やはり史実の歴史的評価を歪めるものであってはいけない。戦争物の難しさはそこにある。つまり双方の言い分があり、それが衝突しているため紛争が起こっているのであり、やはり双方の言い分を伝える必要があろう。

この映画で描かれた戦闘の一つの特徴は、アメリカ職業軍人とソマリア民兵との間の戦いであるということ。軍服ではなく、普通のいでたちの市民が銃を取ってアメリカ兵に立ち向かっている。圧倒的な火器の性能の差を埋めるのは数であり、ソマリア人は、撃たれても撃たれてもそれこそゾンビが湧きあがるように向かってくる。そのソマリア人の非人格的な描写がどうしても気になってしまった。その結果、ソマリア人の怒りが描かれていない一方的なプロパガンダと受け取られかねない違和感は否めなかった。

映画の一シーンで、銃を自分に向ける女性に対して「やめろ、やめてくれ」と言って引き金を引けないアメリカ兵が描かれている。その女性はほかのアメリカ兵に撃ち殺され、その短いシーンはそれまでなのだが、なぜ普通の女性をして銃を取らせたか。歴史はそれを無視してはいけないと思うが、映画には描かれていない。

映画の最後で、レンジャー班長(ジョシュ・ハートネット)にデルタフォースの古参兵(エリック・バナ)がこう言っている。

「国に帰ると人は言うだろう『なぜお前らは戦うんだ。お前らはwar junkieだ』と。それに対しては俺は一言も言わない。どうせ奴らには何も分かりっこないさ。俺の隣にいる奴だけのことを考えてるだけさ、なんて言ってもな」

そして、その後そのレンジャー班長が独白でこう言う。

「ここに来る前に、俺の友人が俺に聞いたんだ。『なぜお前は他人の戦争を戦いに行くんだ。お前は英雄のつもりか?』とね。その時は何と答えていいか分からなかった。でも今同じことを聞かれたら、こう答えるさ。『まさか、とんでもない。英雄になれなんて誰も言ってなんかいない
さ』とね」

彼らを英雄視はしないという最大限の配慮だろうが、そうした反論が出ることを想定した映画製作サイドの言い訳のように聞こえてしまった。

純粋なアクションだけで言えば、やはりお金を使っているだけあって迫力はあるが、アメリカ兵(特に戦闘地の上官)の緊迫感にはもう少し「恐怖と興奮」の異常さが欲しかった。以前観た時は、その点でもそう不満はなかったのだが、『ローン・サバイバー』を観た今となっては、どうしても比較してしまう。『ローン・サバイバー』では、ただ単にイスラム教国家をアメリカに敵対する敵国とするのではなく、「パシュトゥーンワーリ」(敵から追われている者を、自らの命を懸けて助けよというイスラムの掟)が、映画の中で重要な役目を果たしているのも評価できる。

そうした七面倒なことを言わなければ、よくできたアクション映画ということなのだろうが。

★★★★ (4/10)

『ブラックホーク・ダウン』予告編