公開2週目にしてファンに酷評されているエイリアン・シリーズ最新作。

 

一番好きな映画はと聞かれれば、同じリドリー・スコット監督の『エイリアン』(1979年)と『ブレードランナー』(1982年)の二本のどちらかと答え、エイリアン・フィギュアのコレクターの自分としては、やはり厳しくならざるを得ない。そして自分にとっては、『エイリアン』には及ばないものの、シリーズにおいて次点の出来の作品として楽しめた。

 

悪評の少なからずが科学的考証の杜撰さ。確かにひどい。低予算のB級SF作品でもこれほど適当ではないだろうという場面が目白押しである(一点、二点ならまだしも、まさに「目白押し」)。しかしそれに目をつぶって楽しめるよさがあった。

 

ストーリーも陳腐。エンディングは映画の半分に行くか行かないかの時点(はっきり言えば「デイヴィッドが髪を切った(アンドロイドの髪は伸びるのか??)」時点)で見えてしまう。しかし、所詮はエイリアンが人間を皆殺しにする(あるいは一人生き残ってはいるが、エイリアンも潜んでいる)ホラー物である。ストーリーの奇抜さを期待するシリーズではないだろう。

 

何がよいかと言えば、やはり『プロメテウス』で描かれた世界観。つまりこの作品は、『プロメテウス』が好きかどうかでまず選別されてしまう。『プロメテウス』が賛否両論であったため、その作品の続編としてとしてよりも、よりエイリアン物としての位置付けで制作されたのが本作品。しかし、それでも『プロメテウス』のスケール感は生きていた。

 

酷評されているストーリーだが、本作品のworking titleは『Paradise Lost(失楽園)』であり、ミルトンの『失楽園』をこよなく愛する者としては、わくわくするストーリーだった。「天国で仕えるよりも、地獄で治めた方がいい」という堕天使のルシファーが、本作品ではプロメテウス号の唯一の生き残りのアンドロイドのデイヴィッドである。彼の「人間は絶滅すべき種族である」という悪魔的な言葉は、まさにルシファーのものである。

 

そして一番気になるのがエイリアン(Xenomorph ゼノモーフ)の造形。特に、新種のエイリアンがどのようなものであるかが興味の湧くところであった。本作ではエイリアンの胞子が宿主に寄生し成長する「Neomorph」が登場。

 

 

映画の中でこの「ネオモーフ」は成長していくのだが、生まれたばかりの「ネオモーフ」は実にかわいい(大きくなるとちょっとキモい)。

 

ただこの胞子→エイリアン(ネオモーフ)という設定は若干安易。やはりエッグ→フェイスハガー→チェストバスター→ゼノモーフへと変態していってほしい。特に、人間を宿主とするために捕獲してエッグの前で孵卵を待たせるという恐怖の設定がないのはいかにも残念。そして寄生したエイリアンの成長が早すぎる。分単位で成長して体を破るのでは、「映画の間尺に合わせた手抜き」と言われても仕方ないように感じる。

 

デイヴィッドがコヴェナント号のアンドロイドのウォルターに「夢を見るか」と聞くのは、当然ながら『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(by フィリップ・K・ディック)のオマージュ。『ブレードランナー』ファンへのリドリー・スコットからのサービスだろう。

 

役柄としてリプリー的存在は、『プロメテウス』ではノオミ・ラパスだったが、本作ではキャサリン・ウォーターストン。彼女の前作『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』では感じなかったのだが、本作ではどうしてもハリセンボンに見えて仕方がなかった。

 

ファンの間でも毀誉褒貶入り交じった評価だが、ファンであれば是非自分で観て判断してほしい。

 

個人的なシリーズの評価は以下の通り。

『エイリアン』 > 『エイリアン:コヴェナント』 > 『プロメテウス』 > 『エイリアン3』 > 『エイリアン4』 > 『エイリアン2』

 

★★★★★★★ (7/10)

 

『エイリアン:コヴェナント』予告編

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