「境界線」の学びから浮かび上がってきたもの | 創造と表現の喜びあふれる人生へ意識のエスコートを……氷室ユリのブログ@福岡

創造と表現の喜びあふれる人生へ意識のエスコートを……氷室ユリのブログ@福岡

あなたを自由にできるのは本当のあなただけ。ボイジャータロットアルケミー式カードワーク、香りの世界、そしてモノヅクリを通してあなたの世界に輝きと深化を✴そのプロセスを伴走します。


テーマ:

今回は、ちょっとした自己開示記事です(笑)(;・∀・)

 

一昨日は「境界線」のテーマが絡むことってあちこちにあるなぁ、

ホントに深いテーマだなぁということを書きました。

 

勉強会に行って、ますますそれを痛感でした。

しかも、それだけではなく、そこで、私は

いやーな感じの自分の思考パターン、反応パターンを見つけたのです(^_^;)

 

それは、もう、乗り越えた、と自分では思っていたことでした。

だから、とてもショックでしたΣ(´∀`;)

 

そして、その奥底にあったのは「喪失への恐れ」だったと気がついた

……ということをサワリだけ書いたのでしたね。

 

前記事はこちら。


週末に参加した勉強会の中盤で、

私はあることを、家族や友人知人、そして極一部のクライアント様など、

多くの人に投影していたことに気がついたのでした。

 

クライアント様に至っては、今はひどい反応はないですが、

逆転移ではないのか、これは??? と思うことも発見しました。

 

投影、転移、逆転移については、ここで詳しく説明することは割愛します。

みなさん、各自でググってください。(すみません、手抜きで……)

心理学においてはとても大事な要素です。

 

あること、とは。

 

私の中の自殺願望と、

過去に関わりがあった人たちの同じような危険行為への恐れでした。

 

(自殺願望というか、今となってはそれに関しての危険に

 反応過多になる自分、そんな感じのような気もします)

 

あまりにダークすぎて、一挙に脱力しました。

まだ大事に抱えていたのか、と、自分のしつこさに呆れたというのもありました……

 

20年ほど前、心が折れて、およそ4年間、社会と関われず、

ひどい暮らしをしていて、毎日延々と死ぬことを考えてた時期があります。

そのときの有様はここに書いても暗い話になるだけなので省略しますが、

明らかに「自殺願望」を抱えていました。

 

これを、他者にも当てはめていたようです。

 

気がついたのは、勉強会の中盤でした。

配られたテキストに書かれていた「『NO』を言えない迎合的な人の恐れ」という章の

具体的な恐れに関する項目を目で追っているうちに、

それは不意に脳裏をよぎりました。

 

「見捨てられたり、別れたりすること(孤独)への恐れ

 

死は会えなくなることであり、このうえなくつらい孤独を象徴していました。

 

私はこれが本当にイヤでイヤで、(他にも理由はありますが)

人に関わらないように無関心を装っていた過去があります。

 

人間関係に関して未熟だと、当然ですが、信頼関係は築けません。


人を信頼せずに、関係に影がさすと、万が一の場合を過剰に心配する。

本当の信頼があれば、人はさして心配という感覚に囚われることはありません。

 

それゆえ、誰かに何らかの原因で「心配」を感じたときは、

万が一のことが起こったら、と、思う癖がついていたようです。

 

万が一って、なんだろう……掘り下げて見つけたのが「自殺」でした。

そこには、どうしたらそうなるの?という、脈絡のないプロットがありました。

全て、私の憶測と思い込みなのです。

自分がそうしようとしたからと言って、他の方が同じ行動をとるはずはないのに。

明らかに過去の自分を他人に投射した、わかりやすい「投影」だったと思います。

 

まだ、さらにさらに掘り下げていきながら、

「自殺」という原因に限らないかも、というパターンにもぶつかりました。

 

その他に……失踪した人、何かわだかまり抱えたまま関係を断ち切った人、

寿命とは言え、最期がわからないままに帰らぬ人になっていた人……

心残りがあるままに会えなくなった人たちのことが、鮮やかに思い出されました。

 

その人たちを、全く関係ない人にかぶせていたのですね。

 

万が一のことが起こる。

会えなくなる。

失ってしまう。

万が一のことが起こったら、それは私が見放した責任だ。

 

後悔と自責の念。

耐えがたい、喪失感。

 

もう二度とイヤだ。

 

そのようなフレーズが、パラパラとページをめくるように脳内に表れました。

 

そして、わかったのです。

 

自分の行動パターンを、目の前の人に重ね、

自分が失った人たちを、目の前の人に重ね。

 

投影に加えて、転移と、逆転移と。

 

そして、そのためにやってしまいがちだったのが境界線を越えること。

 

わかっていたと思います。どこかで。

 

往々にして、多くの問題は解決していたし、境界線についても、

あまり大問題だとは思ってはいませんでした。

 

でも、私にとって、昔から引っかかっていたことは

理由が明瞭でない「心配」、これらへの漠然とした「不安感」。

そして、それを振り払おうと、相手の領域に踏み込んで阻止しようとする。

何も起こっていないのに。

 

後悔はない人生だと思っていたはずなのですが、

私には、たくさんの悔いが残る人との別れがあったんですね。

 

それらを繰り返すことへの恐れ、喪失への恐れ。

それが、境界線を曖昧にしていたと気がついたのでした。

 

その瞬間、数秒でしょうが、あたまが真っ白に。(笑)

(ま、笑えるだけ、癒えていますし、成長しました、ワタクシ)

でも、憑き物が落ちた感覚がありました。

これからは、こんな後悔をしない繋がりにしていこう、とも思えました。

 

勉強会が終わって、講師を務めてくれた橋本和泉さん

あることを訊ねてみました。

 

答も、どうあるべきかも、わかっていたのですが。

誰かにハッキリと返してもらいたかったのだと思います。

 

あえて、「万が一のことが起こったら」というフレーズも使ってみました。

 

きっと、こう返されるだろうという言葉を、期待通り、返してもらえました。

 

「もしも、万が一のことが起こっても、それはユリさんの領域ではないよ」

 

帰りの特急列車の中で、それを反芻し、振り返り、

投影やら転移やら逆転移やらで、何重にもなって見えてなかったことが

すっかり露(あらわ)になって、

心の周りの壁のようなものがほろほろと崩れるような感じがしました。

 

「もしも、万が一のことが起こっても、それは私の領域ではない」

夜道、歩きながら、言葉にしてみました。

それは、自分の耳に、やさしく届きました。

 

私が他人の領域に入ることは、いくら良かれと思ってのことであっても、

その人から生きる力を奪うことになることもあります。

境界線は、お互いのためにあるのです。

 

自分に嘘をつかず、人との繋がりに自分の未解決の問題を持ち込まない、

そうすることで人との関わりのスタート地点に立てるのかもしれません。

 

私の境界線の問題は、完全に解決したわけではありません。

でも、この勉強会の学びから浮かび上がってきたものは、

今の仕事をしている私にとっても、一個人である私にとっても、

とても大切な発見だったことは間違いなく、

今日、生きている私には確実に変化が起こったと思えるのでした。

 

これからも、境界線の学びは続きますよー。

今後もますます、講座やワークショップ、勉強会などで、

折に触れて取り上げようと思います。

 

 

 

 

氷室ユリ【福岡】意識的原点回帰のエスコーターさんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

SNSアカウント

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス