オーストラリアの1年間のワーホリを終えて埼玉の村に帰ると、そこにはもう僕の籍はなかった。

「え、どうして…?」

「だって、もう帰ってこないって言ったのはあなたでしょ?」

「そんなこと言ったっけ?」

言ったかもしれない。


村から出て1年間、本当にいろいろな経験をした。

1年間で10年分ぐらいの経験を積んだ気がする。

いろんな意味で大人になった。

それでもまだまだ自分は世間知らずには違いないし、もっと社会勉強をしないと、年相応の大人になれないと思った。

だから、村に居場所がなくても、結果オーライだと思った。

村を出るにはもっと正式な書面上の手続きが要ると思い込んでいたから拍子抜けだったが、こうして僕は一般人になった。


僕の親は三重で、村を出た人どうしで新たなコミュニティを作っていた。

メンバーは皆、村に長くいた人たちだったが、彼らもまた、村の方向性や不自由さに疑問を抱いていたのだと思う。


僕はしばらく親の世話になり、アルバイトなどをした。

引っ越しのアルバイトの面接で履歴書を出すと、面接官(部長)は「お前、ヤマギシか」と言った。

彼がヤマギシに対して良い印象を持っていないことは、彼の口調と表情から明らかだった。

「はい、1年前までヤマギシ会にいました」と僕は答えた。

「今はもうヤマギシとは関係ないのか。」

「はい。脱退したので今はもう関係ありません。」

「ふん。」

結局アルバイトとして採用されたが、三重県内でヤマギシの名は出すべきではなかったと思った。

そんなに人びとに知れ渡っているとは思わなかった。

しかし、ヤマギシにいたことを伏せるとなると、履歴書に嘘を書かなくてはならなくなる。

そんなことがあって、三重で働くのは嫌だと思った。


引っ越しと掛け持ちで、養鶏場で鶏糞の袋詰めをするアルバイトもしていて、実はそっちの方が割が良かったのだが、僕は引っ越しシーズンが終わると荷物をまとめ、北海道へ旅立った。

次のワーホリの資金を貯めるために、牧場で住み込みで働くためだ。


オーストラリアの1年で身軽になった僕は、日本に帰ってきてもワーホリのような生活を続けたのだった。