手を合わせる。ということ。

手を合わせる。ということ。

「手を合わせる」とは
『感謝・敬い・親切・礼節・反省』。
日々おもうこと、かんじること。

Amebaでブログを始めよう!
今、自分、転換期だそうです。

心当たりありまくり。なんだけど

この土日は


自分にとってもリセットというか
リスタートというか、再定義っていうか
そんなことを考える出来事ばかりの二日間でした。


で、今日は暦の上でもなにかをスタートさせるには
絶好の日ということで

自分のなかであることをスタートさせました。
大きな夢への小さな一歩。だけどね。


人生、一度切り。


2015年12月14日という日は、

赤ちゃんにとっても、小学生にとっても
おじさんにとっても「ただ一度切り」。

同じ日は二度と来ない。

毎日が特別。


この初心を忘れないように、日々味わっていきます。



会話するとき


相手の向こうに自分が透ける


相手に言っているようで、自分へのメッセージ。


で、いろんな癖や、パターンも見えてくるけれど、


結局それを見つけて、

「で、どうする?」

なんだな。


で、「で、どうする?」って、透けてる自分には


「で、どうしてほしい?」だし、


ということは、「で、どうしたい?」なんだよね。




で、昨日は話してて思ったのは、


それは、「人」に対してだけじゃなく、「もの」に対しても。


「扱った」ように「扱われる」のではないかな?

と。



だから「人」にも「もの」にも


優しくしたいね。

昔、


「もったいないおばけ」ってあったよね。


確かCMかなにかで


食べ物を残したりしたときに


残さず食べよう。的な感じで


「もったいなーい」って出てきたやつ。



いま、自分、ミニマリストの本の影響もあって、


どんどんモノを減らしてます。



だからかもしれないけど


「もったいないおばけ」って言葉を聞くと



「持ってはいるけど使ってないもの


そんなものに埋もれている自分に対して


<<もったいなくないかい?>>」


っていうふうに思えてくる。



モノも人も、もちろん自分も大切に丁寧に扱うことが大事。


ホントに大事に扱えるものって


そんなに多くはもてないんじゃないかな?

鏡。


それは、人の扱い方にも言えると思う。



たとえば、



人に邪険に扱われた時、


「自分は自分を邪険にあつかってないかな?」


と考える。



心当たりおおあり(^^ゞ。



自分を大切に扱えてると感じるとき、


「こんなふうに周りの人にも接していこう(^^)。」


と思える。



人と関わると色々感じるけど


時には辛いこともあるけど、


そこから何を感じ、考え、今後の生き方に活かせるか。


ですな。



だって過去には戻れない。今を未来に向けて


生きることしかできないからね。

悩む時は悩む。


寝るとは寝る。


全てのやることにはベストのタイミングがある。


迷わなくていい。迷ってもいい。


今はその時、だから引きづらないこと。


痛みはメッセージ。ヒント。そしてチャンス。


答えは自分が知っている。それを信じる。




だから、書けない時は書けないでいい(^^ゞ。

最近とみに感じるのは

「本物」に触れる大切さ。

そして「今」に生きる大切さ。

それを私に

時に優しく、時に楽しく教えてくれた

下関のセラピスト、中原盛治のコラボ講演が開催されます。



心に、体に、自然に興味がある人は

何かしら素晴らしい何かを掴めると思います。



こういった機会はもうなかなか無いかもしれません。



もちろん私も参加します。




【公益財団法人 日本野鳥の会】 と【NPO法人 日本心理セラピスト協会】

による講演会『言羽』を11月下関市で開催致します。

参加料無料で限定200名様限定です。ご興味のある方は、

イベントページをご確認ください。


【NPO法人日本心理セラピスト協会主催イベント】言羽ーKOTOBA-

悲しみの奥には怒りが


怒りの奥には悲しみが


静かに自分と向き合うと、振り返ると気づくことがある。



一人じゃなくても人と話していながら


言葉を発していくことで輪郭がはっきりしてきて


そのときの感情が現れて、その奥に深いところに


もう一つ別の感情を見つけることがある。



まずはそこに気づけた所。それをよしとしよう。



感情は外からの刺激によって過去の経験と照らし合わされて現れるパターン。


だから溺れることなく、受け入れて感じ尽くすことで、


収まって今までと違う選択ができる。



でも、やっぱりいままで生きてきたパターンは根強いところがあるから


焦らず一つ一つ向き合っていくことになるんだろう。



そういった時間を大切にしたい。

日々経験すことから気づくことや感じることを


形に残すことで「この世」の存在させる。のが、


このブログを再開させた1つの目的なんだけど、


一昨日の記事について改めて実感させるようなことを経験した。


言葉の定義


思いが現実化するっていうのはこういうのを言うんだろう。



ある気づきがあってブログを書いて、


書いたってことはそんな気付きにフォーカスしたから


そういった経験を経験する(変な日本語)。


で、そういったことに気づくことで


そのフォーカスは強まってそれこそ強化されて


自分を強める。そうやって「自分」という「自覚」が強まる。



だから、気づき、フォーカスっていうのは向きが大事ですね。

言葉を使ったコミュニケーションでは、


人それぞれ言葉の定義が同じとは限らないから


そこで誤解が生まれトラブルが生まれる。


例えば上の「トラブル」。ちょっとしたことをイメージする人がいれば


取り返しのつかないものをイメージする人もいる。


同じ「イメージ」という文字、響きだけど


人それぞれの今までの経験、感じ方でその「イメージ」は異なる。


理屈的にはそれを一致させることは無理。


だからお互いそこを理解して思いやって、歩み寄ることが大事だね。


お互い「思い込み」をなるたけせずに。そこに気づいて。

今の自分を知る。


進むにしても現在地がわからないと


どうにもならないからね。



わかったふりをしない。


できるふりをしない。



決して自分を卑下するという意味ではなくて、



ニュートラルに自分を見つめる。認める。




ありのまま。




どーせ、これからの頑張り次第なんだし。



やったことないからしんどそうだけど。


結局はラクかもよ?



それが全て。これからが勝負。いつもね。