みなさまこんにちは。

あの震災から9年が経過しました。

あの時、私は、東京赤坂で働いていました。

 

2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒

 

ちょうどランチタイムが終了し

片付けを始めていた矢先でした。

フライヤーから煮えたぎった天ぷら油がジャブジャブとうねりながらこぼれ

食器や壁に吊るしているものがガチャガチャ落下。

帰りの四谷駅周辺は深夜にもかかわらず帰宅困難者で溢れかえり

都内でも大きな被害となりました。

 

 

テレビ映像からは東北のリアルタイムの被害の様子が。

私が経験した阪神淡路どころではない様子を悟りました。

あれから9年も経ったのですね。

 

東北で被災された方々の悲しみは、

はかり知れない大きなものだったでしょう。

津波により全ての思い出を流され、

ご遺体さえいまだ見つからない方々がおられます。

 

私は、神戸で被災した災害被災者として、

少しでもお気持ちを察することができればと、

努めておりますが、

その大きな心の傷は、

私にも想像できないほどの大きな傷であるはずです。

 

私が、前回まで書いた。

「やまさとのルーツ」(その1〜7)は、

災害被害者としてどのようにして、

「被災後の生きる気持ちを立て直したか。」

を、綴ったものです。

 

それは、無くしてしまった「生きる目的」を立て直す戦いでした。

被災する前、

私の生きる目的はさまざまありました。

その中で、一番大きな目的は、大事な娘の幸せでした。

仕事が終わって、もう眠っている娘を寝室からからそっと抱き抱え

自分の胸の中で、眠ったままの娘の顔を見て、生きるエネルギーにしていました。

 

被災し、しばらくの間は収入もなく、残ったのは大きな借金。

経済苦に陥り、家庭は崩壊。

最低な男となり。

大切な娘とも生き別れとなってしまいました。

 

「振り返っていても駄目だよ。」

わかっていても

新たな目的にたどり着くには、

被災後10年以上もかかりました。

 

被災直後の私は、

常に、お金儲けしか考えていませんでした。

全てに仕事を優先させ。

非道な判断を繰り返し、

無理をしながら働くことで、

なくなってしまった生きる目標をごまかしていたのかもしれません。

 

目的が無いまま無理して働いているのですから、

世間様と波長が合うはずがありません。

ある程度、上り詰めても長続きしませんでした。

 

見かねた旧友が、丁寧に明かりの灯る方向へ導いてくれました。

「心の財産を目的として生きて行けばいいのだよ。」

おかげさまで、しっかりと目的を持つことができました。

 

先ずは、被災した後、私を支えてくれた蕎麦業界の為に

冷凍手打蕎麦の開発に励み

業界の再構築と発展を願い、

恩返しをしようと思っています。

 

そして、全ての災害被害者の方々へ、

私が一生懸命生きてゆくことで

心に希望と勇気を持ち、

自身から周囲へと幸せの輪を広げてゆく

生きる喜びを知ってもらいたい。

 

最後に、娘を含めた若い方々に、

世界中の人が幸せに生きてもらえるよう。

そのような地球が造れるように、

お手伝いがしたいです。

 

これらを、しっかりと心に誓い。

特別にハッスルすることもなく。

水が流れるように自然に

一歩一歩 明日へ

進めて行く喜びの毎日を大切にしたいです。

水が流れるように自然にね。

大勢様でのご来店の場合

20分前にお電話いただきますと

まとまったお席にご案内できる様に手配させて頂きますので よろしくお願いいたします。

手打そば やまさと

電話:0555-73-9351

 

 また、移転先店舗はカーナビで検索できませんので、

お隣の施設

ハラマチロッヂ様で検索してください。

住所:山中湖村平野116

電話:0555-65-8251

その隣となります。

 

ご来店を心よりお待ち申し上げております。

https://www.yamasato.info/