金木犀が香り出すと
懐かしい気持ちと共に
淋しさに押し潰されそうになります
思えば11年という短い時間しか兄と過ごせず
兄が16歳でスペインへ旅立ったあと
私は半身を捥がれたようになり
孤独を感じるようになりました
兄もきっと同じ気持ちだったのだと思います
私達兄妹は縁が薄くとも
絆は強く
お互いを思いやり
お互いのために
全力を尽くせる間柄だったと思います
不仲な両親の元で
いつしかお互いを慰め合う事が常となり
支え合っていたこと
今でもはっきりと覚えています
人に喜んでもらえる事が
自身の喜びと感じる事ができる私達の心は
祖父母の教育のおかげで
培われたのだと思うと感謝しかありません
私の時間は止まったままでしたが
季節はあっという間に移り変わりますね
朝夕冷えるようになってからは
真夏のように早朝目覚めることがなくなり
睡眠時間が増えてきました
どこへ行くこともなく
今の私は現実と向き合ったり
逃げたりの繰り返し。。。
兄が帰らぬ人となり
ひと月が過ぎました
兄の死が辛すぎて
こちらに綴ることができませんでしたが
友人やお客様に
私の心の内を聞いて頂きながら
少しずつ
少しずつ
日常を取り戻すことに向き合っています
スペインに住む兄に
日本の家族の詳細を知らせる事ができると
始めたこのブログは10年目を迎えましたが
一番読んでもらいたい人がいなくなった今
続けることに意味があるのだろうか?
そんな思いが深く
なかなか文章を綴ることができませんでした
たくさんの方にメッセージやLINE頂き
私のために心を痛めてくださっていることを
申し訳なく感じると共に深く感謝し
この場をお借りして
お礼を申し上げたいと思います
優しいお言葉にただただ感謝しかありません
1年の間に肉親が相次いで旅立ち
傷の深さを察してくださる事にも感謝です
兄に異変があり
救急車で病院へ向かったのは9月17日
簡単な検査の結果は異常無しで
その日は帰宅できたらしく
私とはメッセージのやり取りもありました
家族が救急車を呼んだこと
大袈裟だと言っていましたが
翌日病院からの呼び出し
頭部CTに異常が認められ
その日は入院して次の日にMRI検査
19日には脳動脈瘤と診断されました
この日の兄とのやり取りに
「たばこも酒もやめる」とあり
「まだまだ長生きしたい」という言葉には
兄の生への執着を強く感じ
日本への帰国の予定は変えないという文面に
今すぐどうにかなるような事ではないと
私を含めスペインの兄の家族も思ったはず
異変があったのは
19日の就寝後
20日朝、兄は目覚めることなく意識不明に
動脈瘤からの出血があり
その場所は手術が不可能との事
治療の目処は立たず。。。
日常会話程度しかできない私の語学力では
詳しいことがよくわからないまま
不安な時間を過ごしました
姪からの電話では
医師から脳死状態だと説明があったよう
まさか❗
兄に限ってそんな事あるはずない
あってはならない事なのに。。。
ビデオ電話に切り替えて
何度も大きな声で兄に呼び掛けましたが
全く動くこともなく
涙が止まらなくなりました
押し寄せる不安の中
一刻も早く兄のそばに行きたくて
一番早いスペイン行きの飛行機を予約
その日の夜の姪からの電話で
日本語を少し話せる姪の友人が
通訳をしてくれましたが
衝撃的な事を聞かされました
兄は「臓器提供意思表示」をしていたらしく
妹である私にも
それに対しての了承が必要だとのこと
私はというと全力で拒みたい本心を明かせず
最期の最期まで
誰かのためになろうとしている兄の志しを
ただ温もりのある手を握りたいと思う私が
阻止することはできませんでした
兄の脳死判定が確定したのは
日本時間の9月22日の午後7時
私が関空へ向かう直前でした
覚悟はできていましたが
飛行機を乗り継ぎバルセロナへ到着するまで
気が張っていたのか
涙が溢れることはありませんでした
だけど
空港に迎えに来てくれた
イーサンと姪の元旦那と再会し
タクシーでセレモニーホールへ向かう途中
これから向き合う現実に涙が止まらなくなる
そんな私の手をそっと握ってくれたイーサン
自分も哀しいだろうに。。。
この小さな手の温もりに
ますます涙が止まらなくなりました
スペインの兄の家族との対面後
まるで微笑んでいるかのように
棺の中で眠る兄の姿を見た時
怖い夢から現実の絶望へと変わる
諦めたはずなのに
諦めきれない想いが溢れだし
声をあげて泣いてしまいました
もう二度と兄と語らうことはできない
もしも日本にいたらきっと兄は助かったはず
もしも私が側にいればきっと兄を救えたはず
もしも、もしも、と、
後悔ともつかぬ感情が溢れ出す
ただただ兄の無念を思うと
可哀想で涙がこぼれる
この世に執着していた兄なのに
これから人生を楽しむはずだったのに
一緒に母の一周忌をするはずだったのに。
日本で初めての兄妹での温泉旅行を
とても楽しみにしていると
何度も何度も私に
感謝の言葉を綴ってくれていた兄を
日本でゆっくりさせてあげたかった
せめて最後に日本で一緒に過ごしたかった
切なる願いも叶わぬまま
兄は空にかえっていきました
私達家族の事情を知っている方から
慰めの言葉として
「彼岸に亡くなる」
という事の意味を教えていただきました
お彼岸に亡くなる人は
『天寿を全うした。 良い人生を送り、さまようことなくあの世に行ける。』
と言われているそうです
奇しくも
私達の大好きだった祖母の亡くなった日も
兄と同じ9月22日
きっと
祖母が
「哲ちゃん、そっちにいてもしんどいやろうからこっちへおいで」
そう言って迎えにきてくれたんだろう
そんな風にも思えるようになりました
だけど
兄は殺されたんだ。。。
そう思ってしまう
直前までの兄とのやり取りを思い出すと
私の心にどす黒い感情が芽生え
今でもその憎悪は消えない
人を憎んでも兄は帰らない
私がそう思うことを兄は望まない
それはわかっていても
憎むことでしか感情のやり場がなく
少しずつ吐き出し
楽になりたいと思う私をお許しください

