「国民の歴史」というタイトルの本だと思ったが、 日本人の顔について書かれていた。

奈良の仏像彫刻からみる 日本人の顔について書いてあった。

それをみて ネットでも密かな話題になる 多部みかこ という女優を思い出すのだ。

彼女は どの時代でも おそらく日本人の感覚にマッチする 好ましい雰囲気を醸し出している。

こういったものは 個人の感覚で いかようにも 日本人固有の顔として 誰かを例示するだろう。

書籍や 人からの話を得て 人は 多くの知識を得る。

その知識から 個人個人が 感覚で その知識から連想して 具体化していく。

この具体化や 抽象化 といったものは 知識を加工する 多くの組手というか

設計方法 つまり工法があり それが ひとそれぞれ違うから 個性がそこに発揮される。

その工法は 現代では 大学や短大などで 教授(伝授)されて 受け継がれていく。

北斗の拳という 漫画が 一子相伝とかいう それと似たようなもので

大学では 入学者にのみ許された 相伝がされていく。

大学生は 大学院と異なるのは 知識の量よりも この 組手 工法 というものを

自分なりに身に着けたかどうかが問題で 卒業の条件と考える教授もいる。

それも 教授それぞれの考え方で まさしく 学問の自由なのだ。

当然 こういった教育を受けた卒業生は 社会には広くいて 別に大学を卒業しなくても

知見をひろめることに努める若者は 自然と この 知識の工法を 学ぶ。

また 書籍や人の話自体からも その工法を読み取ることができるだろう。

これらは 数学で言うと 公式にあたるかもしれない。

多くのこの 組手 工法 公式を 身に着けた者は やがては それを

統合したり 連立させたりして 知識そのものを 生産し始める。

その時 きっと 高校一年生の数学や 論理学の書籍で身に着けた知識が

補助輪となってくれるだろう。

知恵 というのは 知識から産まれるが それをより恵み豊かに 多くの人に見える形で

生み出す行為 でもある。