大人になってから 気がつくことがある。



それは 他者を責めていたころには気がつかない。



他者を攻める前に まず 待つようになると



たいていの人間は 責められないことをよいことに 図に乗る。



日本だけではないかもしれないが 現代の多くの市民は 自らの非を認めたり



ましてや 自発的に反省する ということが無い。



こういったこともあり より 社会を非難する大人や



人を管理したがる 風潮というものh 増強されていく。



日本人は おそらく おのずから反省するという 精神がない。



戦後の憲法を 他者から与えられた と 言い訳をし



自らが行った 戦争行為の あらゆる 負の側面を 認めないことにあらわれている。



もともと 日本人というものは 多様性の中でしか 生きられないはずなのだが、



ウヨクや サヨクが いうところの 非日本人によって 毒されていった。



しかし考えてみれば ウヨクだ サヨク自身が 多様性を認めない



原理主義的なところがあり 彼らこそ その非日本人なのだろう。



土着の日本人なら おそらk



どちらの意見も聞き入れて よいところを受け入れる 姿勢を心に持っているが



彼ら ブログを書いたり ネットで 持論を述べる多くは



その姿勢さえも否定する。



日本人は 多様性に裏付けられた 自らを反省する心構えを失い



日本人は 多様性を選択する基準を 道徳基準を失うことで見失い 管理されなくては



自ら反省することもない。



そもそも そのようなものは 反省ではない。



おそらく この先 日本人は 管理された社会を 望まないまま 受け入れざるを得ないだろう。



その とばっちりを受けるのは われわれ土着の日本人も同じだ。



こうした中で できることといえば 日本を 正しい基準を示しながら多様性を 認めること。



そのひとつが 移民を大量に受け入れることだ。