2時間ほど前に書いた 記事を下書きにしておいたんだけど、


全く消えてしまった…。


まぁ 熟成されてなかったから こうやって時間がたって リライトできるので、


いいにしましょう。


で、 どんなことを 考えていたかというと、 宝くじのことから いろいろ思ったこと。


宝くじ が 当たったらどうしよう と いう。


当たったら それは 手放しで 喜べば いい と 思う人が 多いだろうけど


自分は 先日 当たったかも と いうのが、 外れていたので


あぁ また貧乏できるな と 安心した。


貧乏は いやだけど 金持ちには なりたい。


なんだか わけわかんないだろう。


でも けっこう同意できる話だと 思うんだけど


金持ちになる過程で 成功した とか 充実したステップアップが あるからこそ


金持ちを 夢見るんであって


ある日 突然 金持ちになるのは ごめんこうむりたい。


そんな 成功体験とか ステップアップの充足感なしに 棚から牡丹餅 あぶく銭。



ところが こういうのを 手放しで 喜ぶべき 人たちもいる。


だけど それが現実になると 世間は 攻撃をし 妬み その当人たちも 堕落する。



日本や アメリカには 階級があって


5%の支配者>15%の成功者>平均以上>平均>平均以下>発展不明>発展不可能


と 表現している アメリカの著名人もいた。


で この最下層 発展不可能 という人たちは 突然ふってわいた 幸運がなくては


決して のし上がれない。


そのほかの人たちは 発展の可能性 上に行く可能性は 自分次第で


それは まさに 天は自分を助けるものをたすく という ことわざのように


努力次第で なんとでもなる。


これは 民主主義では 法律の世界で 私的自治の原則 が成り立つ 基礎となる真理。


だから それができない 人を 助ける という 発展不可能 の階層のための


政治しか 本来ありえない。


… 言いたいこと 広がりすぎて わかんないだろうか…。


要は 宝くじ は 当たったら困るな と 僕は 何とか 自分がなると思うから


思い始めた。


それで もし当たったら それを 発展不可能 な 人たちに 還元したいな と。


でも 蜘蛛の糸 の逸話よろしく そんなことを 個人プレーで したら


自分も 最下層に 行きかねない し ひどいことになるだろう。


そういう 時 どうしても 活用したいのは 新しい公共(NPO)であったり


政府であったり。


さて NPOはまだしも 政府は 誰のためにあるだろう。


自分でなんとか できるし その喜びがあってこそ 上の階層にいるであろう


人たちを なぜ 助けるのか。


この世界は まさに 逆説的だ。