偽情報 というのは 日本古来から 頻繁に 政治活動や商売、戦で使われていた。



このごろ都にはやるもの という偽綸旨のほか



下々の間では 戦において 流言飛語といって 戦意喪失や 兵隊の引き込み逃亡など絶えなかった。



現代でも 学校にいるころから 偽情報を流す人間はいて



大人になると その内容が非常にわかりづらく 偽情報だと 気がつかないことが多い。



大人の社会では 平気な顔をして 嘘をいうのだけど、



偽情報というのは 後から確認したり 裏をとれば 防げるというものばかりではない。



特に 公共の電波や インターネットには そういう わかりやすい嘘である偽情報は 少なくなっていくだろう。



商売において また 最近 知恵をつけた現代人が もっとも多用し始めた 偽情報というのは



客観的判断による情報では なくなっている。



客観的判断による情報は 正確ではあるが、



それに付随する主観的情報に関して 嘘をいうことで 情報の受け手を 混乱させたりする。



わかりやすくいうと 仕事などで 仕事人の仕事内容を 主観的に 使える 使えない とか



理解できる 理解できない と 評価するのだが、



その評価は 人物によって変わるもの ということを念頭に置くと いかにそれが



主観的情報であり われわれが 統治されているかが 操作されているかがわかる。




さて


太陽光発電 や 光触媒 といった技術など 光に関する科学技術が 未来を拓くといわれて



そういった 起業が多いが、



つい最近まで 対効果や 過大広告などから 開発するものは一流でも



販売するものは 三流ばかり という世間のイメージがあったと思う。



震災後 多くの企業が参入し始めた。



今でも 太陽光発電など 販売網と 技術が うまくかみ合うことはない。



それは あくまで われわれが 自分自身で 客観的判断を 各自できる状況になっていないからかもしれない。



常温核融合の夢の技術の提唱から派生して 三菱重工業が昨年 放射能の根源である元素を



無害なものに変えてしまう 技術を発表した。



おそらく こういった技術は 確実に投資されて 原子力発電の推進の 力のひとつにもなるだろう。



わたしたちは そういった情報を 一面でとらえると



原子力発電を 容認することになってしまうけど



本来 やらなくても済むものを増やす 破壊的な発電ではなく



自然と調和した 心穏やかな 発電のほうが 好ましいということを 忘れたらいけないと思う。



偽情報に 惑わされないためには



客観的情報を 自分自身で集める環境を維持することと



主観的判断は すべて 自分自身で行うまで 信じないことだろう。



民主主義の政治は 決して 警察をはじめとした官僚や 職業政治家に ゆだねては



われわれは いつまでも自由でいられない 統治されたものとして 



民主主義の政治は 実現することがない。