ここは死役所。

安楽死が国によって認められた世界。死を望む者たちがやってくる。

僕も死を望む者の1人だ。家族や恋人に見捨てられ生きている意味が分からなくなりし死役所を訪れた。

「番号札5番をお持ちのお客様、1番の窓口へお越しください」

味気ない機械の声に導かれ1番の窓口へ向かった。


「またか…」

死役所に配属されてから死を望む者たちがこんなにもいるのだとがっかりというか、衝撃を受けた。

1番の窓口にやってきたのは、目に光の宿っていない青年だった。いつもは末期ガンの親を持つ中年や、夫や妻を亡くした老人などが多かった。

「どうされましたか?」

いつもの通り手続きを始めた。

こんなに若いのに死役所に来るなんて…と思ったが、安楽死が認められているこの世界では死役所の係員が「死んではダメ」と言ってはいけないということが暗黙のルールになっている。あくまでも私たちは死へ誘う業務をするのが仕事だ。その人の人生がどうであれ関係ない。「死にたい」という気持ちを尊重するだけだ。

とは言っても私に人間の心がない訳では無い。死を望む者の気持ちは分からないが、死によって残された者の気持ちは分かる。大切な弟があんな死に方をしたのだから…


「あのぉ…」

蚊の鳴く声で前にいる青年は光の宿っていない目をこちらに向けていた。

「失礼致しました。どうされましたか?」

少しぼんやりしてしまっていたようだ。

「僕…もう死にたいんです…。もう生きているのが嫌なんです…。家族とも縁を切りました…。死なせてください…」

そこまで言い切ると青年は泣き出してしまった。大体の人がそうだ。死にたい理由を聞くと泣き出す人が多い。でも私は泣く訳にはいかない…。これで泣いてしまったら私はこの青年を死へと誘えなくなってしまう…。

「では、死にたい理由を来週までにこの紙に書いてきてください。必ずこの紙の八割は書いてください。多くなる分には構いませんが八割未満だと受理できませんのでご了承ください」

私は死亡理由書を青年に渡した。

安楽死が認められたとはいえ、死亡理由書で落とされる人が多い。死亡理由書がちゃんと書かれていないと死を認めてしまうのは殺人になってしまうのだ。つまり安楽死と殺人は紙一重なのだ。

「わかりました…。これを書いてくれば死ねるのですか…?」

青年は涙がいっぱいになった目をこちらに向けていた。

「必ず死ねる保証はありません。死亡理由書が受理されてから、死亡までは時間がかかります。もし死亡理由書が受理されたら死ぬのをやめることはできません。それでも死にたいですか?」

私は真っ直ぐな青年を見つめた。

青年はさっきより少し強い眼差しでこくりと頷いた。

「では来週の金曜日の閉庁までに死亡理由書を書いて持ってきてください」

青年はこくりと頷き、フラフラとした足取りで出口へと向かった。


青年が帰ったあと、私は「はー…」とため息をついた。

いつもなら難なくこなせる業務が今日は上手くいかなかった。あの長い前髪。少し曲がった背骨、そして光の宿っていない目をしたあの青年は3年前に自殺をした弟にそっくりだった…。


地元でも有名な社長の子として産まれた私たちは父と母の愛を一身に受けて育った。小さい時から塾に体操、水泳、ピアノと色んな習い事をして育った。おかげで学校では「なんでもできるやつ」だった。

5つ離れた弟も同じく「なんでもできるやつ」だったはずだ…。そう彼らに出会うまでは…。

弟は学校で酷いいじめに遭っていた。

しかし弟は家族に何も言わなかった。いつもニコニコしていた。心の中では泣いていただろうに私たち家族には一切話さなかった。

そしてある日、自室で首を吊って死んでしまった。彼の限界を迎えてしまったのだろう。父と母はいじめを裁判所に訴えたが証拠不十分として不起訴となってしまった。父と母は3日間泣き続けた。どうして助けられなかったんだと自分を責め続けた。そしてその夜、自宅に火を放ち死んでしまった。私も死ぬつもりだったが駆けつけた消防隊に助けられてしまった。

その後、叔父に引き取られたが2年後に末期ガンで死んでしまった。叔父は独り身だったため私は18にして天涯孤独の身となってしまった。それから古くからの親友の家に転がり込み、バイトをかけ持ちしながら大学を卒業し収入の安定している公務員となった。「つまらなくてもいい、貧乏でもいいから弟の分まで生きる」そう決めて上京した。最初はP市の市役所の生活援護課に配属されていたが、この春をもって死役所に転属した。問題を起こしてクビになったら嫌なので嫌々受け入れることにした。

死役所の業務は簡単ではない。1人の人生がかかっているのだ。簡単に死なせるわけにはいかない。自殺が禁止されたこの世界で死ぬ方法は病気や疾病、老衰、そして死役所を頼る安楽死しかない。もし自殺した場合、監督不十分として遺族が刑務所に禁錮させられることになる。遺族のない者は自殺することもあるが、安楽死が認められてから自殺する者はかなり減った。いくら縁を切ったからと言って遺族に迷惑を被ることはしたくないのが人間の性であろう。

あの青年は死亡理由書になんて書いて来るのだろうか…


死役所に行って死亡理由書をもらった。

これでこの世の中とサヨナラできる。そう思うと気分が浮ついてくる。

この世の中に嫌気がさしたのは小学生の頃だった。父親の会社が倒産し、これまでの裕福な生活は一転しボロアパートの6畳1間で身を隠すような生活が始まった。母は近くのスーパーで朝から晩までレジ打ちをし疲れきった顔をして帰ってくる。そして父は酒に溺れた。父は母や僕に容赦なく手を出した。そんな父の姿を見て母は離婚を決意した。幼い僕の手を引きボロアパートを後にした。その後、父がどうなったのかは誰も知らない。生きているのか死んでいるのかも分からないし興味もなかった。自分が1日生きることで精一杯なのに他人の心配なんてしていられる訳がなかった。それから母は夜の仕事を始めた。昼はスーパーでレジ打ちをし、夜はクラブで働くようになった。不景気なこの世の中、女手1つで息子1人を育てるのは楽なことではない。最初のうちは夜遅くに帰ってきて朝早くに出ていくという生活だったが次第に家に帰ってくることが少なくなっていった。

母に男ができていることは中学に入るくらいのタイミングで分かった。家に帰って来ることが減り、会う度に持っているものがだんだん豪華になっていった。

そして酒臭い息をした母が僕に男ができて、一緒に暮らすということを宣言したのだ。それから数日して狭い部屋に男と暮らすことになった。僕は「新聞配達でもなんでもするから、母さんと2人で暮らしたい」と泣いて強く願った。しかし母は「もう決まったことだし今から彼に一緒に暮らすのは無理なんて言えるわけないじゃない」と僕の意見は全く聞いてもらえなかった。それが「2番目のお父さん」だった。

最初のうちはとても良い人だったと思う。しかし一緒に暮らすようになって2ヶ月がたった頃、奴は僕に手を出した。最初のうちは嫌われても仕方がないと思っていたが、暴力は日に日にエスカレートしていった。そして奴は言った。

「母さんには絶対言うなよ。もし言ったら地獄送りにしてやるからな」と。

いくら僕が黙っていても痣が残ってしまう。しかし痣だらけの僕を見た母はなにも言わなかった。母は息子より自分の愛を優先したのだ。

僕はその時どれだけ絶望したか分からない。最後の頼みの綱であった母に裏切られた気持ちだった。

学校でも僕は無口を貫き通した。痣だらけの少年に話しかけてくる物好きなどいなかった。

しかし1人だけ僕に話しかけてくれた人がいた。1人のメガネをかけた女の子だった。彼女はいつもニコニコして暗い顔していた僕に接してくれた。いつでも暗い顔をしていた僕にとって初めて「楽しい」と思えた瞬間だった。

やがて僕は彼女に惹かれるようになった。休み時間も授業中も彼女のことを目で追っていた。

それからしばらくして彼女とお付き合いをすることとなった。人生初めての彼女だった。奴も母も家に居ないことが多かったので僕の家で遊ぶことが多かった。ボロ屋だったが彼女は「趣があって素敵」と言ってくれた。幸せな瞬間だった。

それから中学を卒業し、彼女は高校へ進学し僕はアルバイトを始めた。

中卒の僕を雇ってくれるところなど無かったが、彼女のつてを使って古い地元の食堂で住み込みで働くこととなった。毎日忙しかったがとても充実していた。

2年くらいそんな生活をしただろうか。神様は残酷だった。

夜寝ていると火災報知器が鳴った。急いで下の台所を見てみるとなにも無かった。しかし焦げ臭い匂いが充満してきた。息も苦しい。外に出てみると隣の豪邸が燃えていた。消防車のサイレンが聞こえる。よく見ると僕の暮らす店に火が燃え移っている。僕は目の前が真っ暗になった。慌てて店に戻り寝ていた大将をたたき起こした。それからの記憶はあまりない。とにかく絶望した。

火は8時間後に消し止められた。僕の店を含む3棟が全焼。火元は隣の豪邸の暖炉だった。隣の豪邸に住む主人と奥さんは焼け跡から遺体で見つかった。

大将と僕は住処を失ったと共に大切なものを失ってしまった。大将は近くの商工会議所に暮らすようになった。そして僕は彼女の家に転がり込んだ。

彼女の家では彼女のお父さんとお母さんにお世話になった。2人とも人が良く、僕の話を涙を流して聞いてくれた。それだけでも嬉しかった。

働き口がなくなってしまった僕はしばらく彼女の家で居候させてもらっていたが、だんだん申し訳なくなってしまい、放浪の旅に出ることにした。

お父さんもお母さんもそれでいいと言ったが僕のプライドが許さなかった。住み込みで働いていた分の給料もあったし、なにより自分の目で世界を見てみたかった。

それから隣町のS市を放浪することにした。世界がキラキラして見えた。あなたの人生において1番幸せだった時期はいつですか?と聞かれたら間違いなくこの時期と答えるだろう。

いつまでも放浪としている訳にはいかないので新たな働き口を探すことにした。しかし中卒の僕を雇ってくれるところなどやはり無かった。あの食堂で働けていたこと自体、奇跡のようなものだったのだ。

やっとの思いで見つけた建設会社で働くことになった。僕は死にものぐるいで働いた。そう。彼女と結婚するために。

ある日、彼女から1本の電話が入った。そして彼女は言った。

「別れて欲しい」と。

僕は目の前が真っ暗になった。そして勤めていた建設会社も人員削減のためにクビになった。僕の人生はもう終わりだと思った。そしてもう終わりにしようと思った。そして前から話を聞いていた死役所を訪れることにした…。


あれから1週間。金曜日の夕方。あの青年は来るのだろうか。

死亡理由書は誰でも死役所に来れば貰うことができる。しかしいざ死亡理由書を貰うと怖気付いてしまって実際に戻ってくることは少ない。死亡理由書の有効期限は1週間だ。

入口のドアが開かれる音がした。あの青年だった。

「死亡理由書を書いてきました」

青年は封筒に入れられた死亡理由書を差し出した。私は事務的な動作でそれを受け取った。中を見てみるとボールペンで書かれた文字がびっしりと並んでいた。

「確認しました」

そして最後の仕事をすることにした。

「本当にこの死亡理由書を受理していいですか?」

と。青年は涙を堪えた顔で「はい」と頷いた。そして死亡理由書を受理したことを示す判子を死亡理由書に押した。