論語漫歩1017 『星の王子さま』 「野ばら」173  ゲーテの自己分析 | キテレツ諸子百家〜論語と孔子と、ときどき墨子〜

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孔子、墨子をはじめ諸子百家について徒然なるままに語らせていただきます。

 前回我々は、フリーデリーケと初めて口づけし、夜更けまで舞踏したあと、ひと眠りした夜明け方、凄まじい形相(ぎょうそう)で、あの呪いの言葉を口走るルチンデと、この呪いの言葉をまともに浴びて、今にも消え入りそうなフリーデリーケの「はかない」姿をまざまざと見た。

 これによって、あの「ルチンデの呪い」によってゲーテが受けた心の傷がどれほど深いものであったかを知るのである。

 ゲーテは言う。

「この異常な事件の精神的影響を払いのけることもできないのだ」と。

今回は、あの幻影を見た直後のゲーテ自身の心理分析を見てみよう。

『詩と真実』第三部岩波文庫昭17p23

 

   しかし、私としてはそれよりもなおいっそう苦しいものが、心の底に潜んでいたのを包み隠したくない。あの迷信を私の心に養っていたのは、実はある種の自負心だったのである。即ち、自分の唇は──浄(きよ)められたにせよ、呪われたにせよ──以前よりはもっと大切なもののように思われた。私は、一つはあの魔法的な優越感を維持するため、また一つは、断念さえすれば罪のない人間を傷つけないですむ、そのためにも、多くの無邪気な喜びを棄て、そうして、その禁欲的な行状を、少なからず得意の感を交えて意識していたのである。

   しかしながら、もはやすべては失われて、取り返しようもなかった。私は凡俗の

状態に返ったのだ。最も愛している人間を害い、恢復しがたい痛手を与えてしまったと私は思った。それで、私は例の呪詛を免れるべきであったのに、そうではなくて、呪詛は唇から転じて私自身の心の内へ内攻したのだ。

 これらすべてのことが、愛と熱情と、酒と舞踏とに昂奮した私の血潮の中で、一緒になって荒れ狂い、私の頭を掻き乱し、私の感情を苦しめるのであった。そのために昨日のあののびやかな喜びに引きかえて、底知れぬ絶望を感じていた。幸いなことには、鎧戸の隙を通して、陽の光が私を照らし始めた。さし昇る朝日は、夜の一切の悪魔を征服し、私を再び起ち上がらせてくれた。私はすぐさま戸外に出て、元通りにならないまでも忽ちに爽やかな気持ちになった。

 

 接吻を我慢することによって、禁欲的な魔法的な優越感を味わっていたのに、その禁を破って、最も愛する人を失い、取り返しのつかない凡俗の状態に返ってしまったことを悔やみ、呪詛が唇から心の奥深く内攻してしまう。

 この「底知れぬ絶望感」を吹き払ったのが、折しも鎧戸の隙間から差し込んで来た朝日の光であった。