前回我々は、「ルチンデの呪い」から解き放たれ、歓びに溢れて、最愛の人フリーデリーケに接吻するゲーテの姿を見た。
今回も、饗宴の続きである。ゲーテとフリーデリーケは心ゆくまで舞踏を楽しむのである。
『詩と真実』第三部岩波文庫 昭17 p21
音楽を聴きたいという一同の希望が、ついに満たされた。演奏が始まり、誰もいち早く踊り出した。初めと中程と終わりは、アルマンド舞踏、ワルツ、ゆるやかな旋舞の順序で行われた。誰しもこの国民舞踏には習熟していた。私もまたあの内証で教えられた女教師(ルチンデ姉妹のこと)の名声を辱めないだけのことはした。歩いたり、跳んだり、駆けたりするのと変わらないようにかるがると踊ったフリーデリーケは、私が上手な踊り相手(パートナー)だったので、非常に喜んだ。私たちはほとんど両人(ふたり)だけで組み通しで踊っていたが、しかし彼女に向かって、誰も彼も、もうむやみに踊りつづけないがいいと注意したので、まもなく中止しなくてはならなかった。その埋め合わせに、私たちは、両人(ふたり)きりで手を取り合って散歩に行き、そうしてまた、あの静かな広場で心から抱擁し合い、互いに心の底から愛し合っているということをかたく誓ったのであった。
ゲーテとフリーデリーケは、「跳んだり、駆けたりするのと変わらないようにかるがると
踊り、ほとんど二人だけで組み通しで踊った」とあるが、この場面は、そっくりそのまま、
『若きヴェルテルの悩み』に再現されている。論語漫歩883「ぼくはもうこの世の人ではな
かった」から引用することにしよう。
ロッテは言った。
「わたしはダンスほど好きなものはありません。」
あの人の踊るのをきみに見せたい。全身全霊を舞踏に打ちこんでしまうのだ。その
瞬間に、ほかの一切は彼女にとって消えているのだ。
なんという魅力、なんというかろやかさだろう! やがてワルツになって、天界の星のようにお互いのまわりを廻りだす。最初のうちは、それができる者はごくわずかだったから、少しばかりごちゃごちゃになった。下手な連中が引きさがって、もう一組と二組だけで、長い間踊りぬいた。こんなにかるがると踊れたことはない。
ぼくはもうこの世の人ではなかった。愛らしい限りの人をこの胸に抱き、共に電光のように飛びめぐって、まわりのすべては消えてしまう。