京都市営地下鉄東西線が開業した1997年10月12日に部分廃止された京阪電車京津線御陵~蹴上間を歩きました。
地下鉄への転換路線ですので、部分廃止ではあるのですがタイトルを「旧線」としました。
大阪駅からJRの新快速で山科駅へ。
山科から京都市営地下鉄東西線で御陵駅に移動しました。
東西線の御陵駅は京阪電鉄京津線時代の御陵駅と日ノ岡駅の中間にあり、両駅を統合した形になっています。
御陵(みささぎ)の地名は天智天皇(中大兄皇子の天皇即位後が天智天皇)の陵(みささぎ)があることに由来します。
22年ぶりに歩く御陵(みささぎ)駅付近です。
1997年10月の画像です。
区間廃止直前の京阪電鉄京津三条発浜大津行の準急です。(御陵駅付近の三条通の併用軌道から御陵駅の専用軌道に入るところです。(「浜大津駅」は現在の「びわ湖浜大津駅」のことです。以下も同じです。)
これも1997年に現在の東西線御陵駅付近で撮った四宮発三条行(京津三条行)の80形普通電車です。
よく見ると道路の右側に「大本山・本圀寺」の参道を示す看板が出ていました。
現在は公園になっている旧京津線御陵駅下りホーム跡付近です。(2019年)
1997年10月に京阪電鉄京津線御陵駅の上りホームから撮影した下りホームの三条行準急です。
御陵駅上りホームの浜大津駅寄りの京津線軌道跡です。(2019年)
同じ場所から撮影した京津線御陵駅と京阪電車です。(1997年)
廃線跡・旧線跡には必ずのように居るネコちゃんたちです。(久しぶり~!)
京津線時代の府道踏切(旧国道・旧東海道)の手前の冠木(かぶき)門があるところまで公園のような遊歩道になっていました。
京阪電鉄京津線の御陵府道踏切(昔の御陵国道踏切)の跡地です。
1937年公開の日独合作映画に出てくる当時の京阪電鉄京津線御陵国道踏切(後の御陵府道踏切))です。
京阪電鉄京津線の電車の集帰電方式がダブルポールです。オープンカーのクルマは主演男優の小杉勇が運転しているもので、このシーンの前後の電車が愛宕山鉄道だったり京阪嵐山線(現在の阪急嵐山線)なので判り難いのですが、このシーンは、まだ民家がない頃の御陵国道踏切で撮影されたものです。東海道本線の上り列車を牽引する蒸気機関車も写っています。これはC53でしょうか?
小杉勇のクルマの車種は不明ですが、読者の方から「戦前のベンツでも、こういう形のフェンダーの車両はありますよ」というご教示をいただきました。たしかに、日独合作映画ですので英国車ではないかもしれませんねえ。
日本的な美男子ではない小杉勇の日独合作映画「新しき土」主演抜擢は、アーノルド・ファンク監督が野性的な日本人男性を選んだからだということです。
ここまで来たついでに天智天皇陵にも立ち寄りました。
天智天皇陵は京都に存在する天皇陵としては最古の天皇陵です。
天智天皇陵の拝所です。
この後、旧線跡(廃線跡)巡りと言いつつも、ついでに御陵に近いところを流れる琵琶湖疏水付近を歩きました。
ちょっと驚いたのは女性だけの中高年グループのハイキング客が多いことでした。
2018年3月に乗船した琵琶湖疏水船からの疏水の眺めです。
さらに、ここまで来たついでに曹洞宗の永興寺にも立ち寄りました。
永興寺の境内に1996年に再建された豊川稲荷(山科豊川稲荷社)があります。この永興寺と同じで、昔は京都・祇園の円山公園にあったものでした。(『豊川稲荷』は全国的に神社ではなく曹洞宗の寺院です)
琵琶湖疏水の少し上流まで歩こうとしているところです。
人生(人間)至るところに『毒蛇』あり。
少しだけ気分が凹んでしまいました。
イノシシは見ませんでしたが、たぶんタヌキと思われる獣が疏水の近くを走っていました。
永興寺の東側にある日蓮宗の大本山・本圀寺です。1971年に、この地に移転したようです。
2018年3月に乗船した琵琶湖疏水船から見た本圀寺の参道の橋です。
今回は、その橋を渡りました。
橋の上から見た琵琶湖疏水です。
琵琶湖疏水から京都市山科区を走る東海道本線の電車(下りの新快速)を見ることができました。
この日の朝に、山科駅に着く前に新快速電車の車内から撮影した旧御陵駅付近です。
(つづく)