九州新幹線の乗車時間までの空き時間を利用して明治維新・明治時代の偉人の誕生地を歩きました。
甲突川の堤防にある「歴史ロード・維新ふるさとの道」と名付けられた河川沿いの道です。
このあたりが鍛治屋町で、明治維新や日露戦争で活躍した多数の偉人を輩出した町です。
偉人を輩出した理由は、郷中(ごじゅう)制度と呼ばれる薩摩独特の教育制度があったことに加えて、地区のリーダー役だった西郷隆盛の存在が大きかったと思います。
西郷隆盛誕生の地の石碑です。弟の西郷従道の小さな石碑も右側にあります。
大久保利通の誕生の地です。
日露戦争のときの第一軍司令官だった黒木為楨(ためもと)陸軍大将の誕生の地です。
続いて大山巌元帥の誕生の地に向かう途中で見つけた石碑です。
薩摩藩の下級武士だった毛利正直が書いた風刺戯作「大石兵六夢物語」の石碑でした。
鹿児島市にあるセイカ食品の「兵六餅」は、この大石兵六の物語から命名されたそうです。そのセイカ食品は「ボンタンアメ」とか「白くまアイス」でも知られています。
その近くに、戦前の建築と思われる立派な校舎がありました。
戦後の1963年に開校した鹿児島県立鹿児島中央高校の校舎でした。校舎そのものは1935年に鹿児島県立鹿児島第一高等女学校の校舎として建てられたもので、1949年から1964年までは県立鶴丸高校の校舎だったそうです。(元・旧制一中と元・第一高女が統合されて鶴丸高校が発足したときに元・第一高女の校舎を使ったためです。
1964年に鶴丸高校が元・旧制一中の跡地に移転し、その代わりに鹿児島中央高校が、1964年に、この校地に移転してきました)
日露戦争のときに満州軍総司令官だった大山巌元帥の誕生の地です。
鹿児島中央駅から福岡県に向かいます。
鹿児島中央駅の新幹線構内の「城山から見た桜島と錦江湾」のステンドグラスです。
ステンドグラスの右側に「我が前に 桜島あり 西郷も大久保も見し 火を噴く山ぞ」という海音寺潮五郎さんの短歌が刻まれています。
大島紬の製品が展示されていました。いいですねえ。
新大阪行の「さくら」に乗車しました。
八代海でしょうか。
JR九州の車内販売のコーヒーです。
新八代駅を通過します。ここから博多までが私の新幹線未乗車区間です。
白川を渡っています。もうすぐ熊本駅です。
博多を通り越して小倉で下車しました。
小倉まで行った目的はこれです。北九州モノレールのSUGOCAです。
東京モノレールのICカードは、ごくシンプルに「モノレールSUICA」という名前ですが、北九州モノレールのICカードは「monoSUGOCA」というものすごか名前です。
福岡市交通局が、普通の感覚なら「はやか」で止めておくところを「はやかけん」にしているあたりにも九州らしさを感じます。
(博多編につづく)