森一生と市川雷蔵 | お宝映画・番組私的見聞録

森一生と市川雷蔵

話は森一生と再び市川雷蔵に戻るが、前に書いたとおり、雷蔵出演の映画を一番撮っているのが森一生である。
森は役者とは個人的には付き合わない主義だったので、雷蔵とも個人的な付き合いはなかったというが、撮影中に相談することはよくあったという。
アップにこだわるスターが多い中、雷蔵はロングでもいやがらず、逆に「いいですね」というような人で、世にあるイメージのような暗い人ではなく、気軽にスタッフや俳優仲間とふざけたり冗談を言ったりしていたという。
「弥太郎笠」(57年)は、千恵蔵や錦之助などもやっている作品だが、ここで雷蔵はかなり長い楊枝をくわえており、これを吹き飛ばすシーンがある。まさに木枯し紋次郎の元祖といえる場面だったりする。笹沢佐保がこれを見ていたかどうかは知らないが、森自身もなんでやったのかはよく憶えていないという。ちなみに、この時の相手役である木暮実千代は、その二年前の「新平家物語」(55年)では、雷蔵の母親役であった。
森と雷蔵の作品で、傑作との評判が高いのは「薄桜記」(59年)である。共演は同期の盟友である勝新太郎。脚本の伊藤大輔に勝新が「どっちが主役か」と聞きに行ったという話は結構広まっているが、勝本人によればそれは作り話で、当時はまだ「そんなことを言えるほど雷ちゃんと競り合っていなかった」と語っている。ヒロイン役はこれがデビューの真城千都世で、松竹歌劇の出身だという。森によれば、あまり別嬪ではないとのこと。後に舞台に行ったようで、人がよくて欲がないからスターになれなかったのではと分析?している。
ちなみに、この「薄桜記」だが、これを書いている今日(15日)、CS時代劇専門チャンネルで放送があったりする。見れる人、興味のある人はどうぞ。
もう一つ、森と雷蔵のコンビで名作と言われているのが「ある殺し屋」(67年)である。こちらは後期の雷蔵に多い現代劇だが、雷蔵の殺しは針を使うというもので、こちらは「必殺仕掛人」梅安の元祖といえるかもしれない(池波正太郎の小説のほうが先かもしれないが)。共演はその必殺シリーズの初期レギュラーだった野川由美子、そして成田三樹夫。本作では、この二人がいろいろしゃべるが、雷蔵のセリフは極端に少ない。
その続編である「ある殺し屋の鍵」(67年)の監督も大映では珍しく続けて森が担当しており、これが森の撮った雷蔵映画の最後になってしまったのである。三作目が作られなかったのは、もちろん翌年に雷蔵が入院してしまったこともあるのだろうが大映社内で雷蔵の現代劇に反対する者がいたからだという。雷蔵自身はまだやりたがっていたらしい。