これまでの投稿で見てきた様に
物質的な報酬や外的評価が
自律性の感覚を喪失させやすいのは、
それらを得る為に
自分が源泉ではないところで
努力をしなければならないという側面も
あるのではないでしょうか。
本来、自分が好きな事や
情熱を感じる事をやっている時
努力はむしろ楽しみの一つになると思います。
しかし、自分が源泉でないところで
努力をする場合、それは苦労や忍耐と
感じるのではないでしょうか。
さらに、報酬や評価以外でも
努力を楽しむ事ができなくなる状況があります。
それは「競争が強調される」ときです。
前出の「無気力の心理学」(#106)の本の中で
いくつかの実験を取り上げ
<非競争条件では、
自分はよくやったという満足感は、
自分がどれほど努力したか、
その自己評価と対応していた。
すなわち、満足だったと思う者は、
自分がとてもよく努力したと
自己評価する傾向があった。
(中略)ところが、競争条件では、
満足感と努力の自己評価のあいだに、
そのような関係はみられなかった。
そのかわりにみられたのは、
自分の能力の高さと運のよさの自己評価が
満足感と大いに関係がある、ということだった。>
(P78)とあります。
つまり、競争がない場合
自分が努力したという過程を
評価する傾向が高く
競争が強調される状況下では
自分の能力や運など
結果を重視する傾向が高くなるという事です。
前出の本では、さらに
<競争が強調される文脈では、
人々が結果思考になる事がよくわかる。
しかも、この結果は、自分の意志では
変えることのむずかしい「能力」や「運」によって
決まっていると考えるようになるのである。
この意味で、競争を強調する文脈は、
効力感どころか無力感を生みやすい素地を
多くもっているといえよう。>(P79)
とあります。
これらからわかる様に
競争が無ければ、結果にこだわらずに
過程を楽しむ事ができ
競争の中では、結果にこだわり
さらに結果を自分でコントロールできないと
捉える傾向が高くなり
#109にある様に、原因をどこに求めるかによって
行動の仕方に影響を与え
意欲の喪失に繋がるのではないでしょうか。