愛してないのに情けに負けて① | 呑気じじいのひとり言

呑気じじいのひとり言

不思議な時代になっちゃった!

♪愛しながらも

さだめ(運命)に負けて♪

 

 

と言う歌の歌詞があるが・・・。

 

 

もう亡くなった妻には聞こえないだろうから、

ちょっとだけ本音を白状してしまうと、

 

 

ボクの場合、

”愛してないのに情けに負けて” だった。

 

 

戦災にあって、家も失い、山陰の寒村に逃避。

そこは母の生地だった。

 

 

海が近く、子供でも、しじみ貝がいくらでも採れた。

 

 

その頃、ボクは中学生(旧制)。

夏、子供たちが水浴をかねて、しじみとりに来ていた。

ある日、

その監視役もかねていたのだが、ちょっと沖へ出て蛤を探してみようと泳ぎ始めたことがあった。

 

 

今では漁業組合がうるさく、勝手には採れないが、

その頃は自由だった。

 

 

一瞬、波が来た。

大声がするので浜の方を見ると、子供が一人アップ、アップしている。

急に深い所があって、背が立たないので驚いたのだろう。

 

  

近ずいて手をにぎると、咳き込みながらしっかりと抱きついてきた。

可愛い子だった、四年生くらいのT子ちゃん。

 

 

それ以来、彼女は恥ずかしがって、ボクを避けた。

 

 

しかし風の便りから、その女の子は絶対にボクのお嫁さんになるんだと

周りに言っていたらしい。

 

 

7才位の差。

意識して見直すと実に可愛い。

ほりが深く日本人離れしていた。

 

 

 一度冗談ぽく捕まえて、恥ずかしがる彼女の両肩に手をおき、

「ボクのお嫁さんになって呉れるんだって?」

と言うと、真っ赤な顔をしてうなずいた。

 

 

「じゃ、約束しよう」と手を握った。

ボクが手を離すと、彼女は逃げるように走り去った。

 

 

ボクも時々、ふとそうなる日を想像していたのを覚えている。

こんなのが、愛の始まりかしらと。

そう思うと、彼女のことが可愛いくて仕方ない。

 

  

田舎にもこんな子がいるのかと。

 

 

戦後の娯楽は映画。

それも外国のものが多かった。

 

 

今でも忘れられないのは、

映画 ”カサブランカ” を見た時に

そこにでていた女優、イングリツド・バ−グマンに、その少女T子がそっくりなことに気がついた。

それ以来、この女優の映画はすべて見てファンに。

 

 

時が過ぎ、僕が東京へ来た当時は、

まだほとんどが焼け野原で。

その光景の中に、ポツン、ポツンと焼け残ったビルがあり、遠くまで見渡せた。

銀座には松屋デパート、服部時計店のビル等は残っていた。

 

 

さて、ここで、いよいよ亡き妻登場!

 

 

僕が働いていた会社の倉庫、

その二階は当時人気があった江利チエミさんの事務所だった。

 

 

その会社倉庫の前に、後に妻となる女性が務める小さな会社があった。

会社と言っても戦後の焼け残り家屋で、二階建ての木造。

その建物の隣は、今で言うデザイナー、女優の高峰三枝子さんが来た事もあった。

 

 

・・・・

 

 

くだらない話が長くなるので、 

また次に。

 

 

 



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