弥彦村は先祖の地、「弥彦焼」は故郷の焼き物
弥彦村に江戸時代に焼き物があることを知り、弥彦焼を視る機会に恵まれました。

私の故郷は越後弥彦村観音寺349番地です。

400年前、近江国の松宮氏は関ケ原で石田三成に組みし戦い敗れ、落人として越後弥彦村観音寺に逃れ落ち延びました。

[弥彦村史(桜井郷史)]

 

松宮家の檀家寺は弥彦村麓の広福寺で、代々、観音寺の松宮屋敷の中に墓地があり、先祖の墓参りをして居ります。

 

 ◎弥彦村観音寺の松宮久左衛門(観音寺久左衛門)旧宅跡

 

      ◎弥彦村松宮屋敷の椿の花

 

    ◎松宮久左衛門墓地、中央が直系が眠る

 

 ◎松宮屋敷墓所から弥彦山を望、ここに相撲道場がありました。

        ◎弥彦山の頂上に咲くハマナシの花(6月)

 

弥彦焼きの再現を目指して


    ◎弥彦村史(桜井郷誌)に掲載の弥彦焼

 

弥彦村の奥湯 観音寺 国定忠治ゆかりの「上州苑」は縁戚で、主 徳永 勇治氏にお願いし、江戸時代の弥彦焼の所在についてお願いしました。郷土の弥彦焼を復元したいと思っておました。
徳永氏から、「弥彦村誌・桜井郷誌に、江戸時代に弥彦焼(麓焼)の掲載があります。

麓焼閲覧の件で、所有者の本多さまにお伺いしましたところ、ちょうど16日17日両日とも不在でお目にかかることは出来ないとのことでしたが、研究の参考になればと、弥彦焼5点を一晩お貸しいただけることになりました」との連絡がありました。

弥彦焼を拝見するとロクロ仕上げ、織部系の釉薬を用いております。
弥彦焼の窯場は江戸時代、温泉の過熱所の浦山にあり、登窯は10室が連なり盛んに焼いたそうです。

 

陶土は弥彦山で斜面から産出する耐火土の高い白色カオリンを用いたと思われます。

そして、徳利、平鉢、雪平、擂鉢、食器、火鉢、カメ甕、水盤,花立て、植木鉢などを作りました。現物を視ると,制作の過程が判ります。釉薬は美濃焼の織部釉のようです。

現在、分析も済み、郷土の「弥彦焼」を再現するために、作陶しております。「平成29年記」

 

 ◎上州苑の徳永勇治氏(左)と筆者が持つのは弥彦焼の手火鉢

 

◎弥彦焼再現のロクロ成形

 

◎弥彦焼の再現なる。

 

◎弥彦焼再現の大鉢(水草を育てる)

 

 ◎弥彦焼再現,、「花器」

 

◎弥彦焼再現「面取り壺」径40㎝

 

   ◎お正月を活ける