陶郷大堀相馬焼の里で修行
昭和46年、私の修行をした大堀相馬焼の窯元長橋明孝氏の名月窯は、浪江町大堀にある。東北本線浪江の駅より7キロほど山間に入った静かな里である。
江戸元禄時代より焼き始めた窯場で、300年の伝統に支えられている。
昭和53年、国の伝統工芸指定地区に認定され、益々その重みを増している。
伝統とは「技法を継承して100年以上の歴史を持ち、その地区が一つの集団をなし、その技術を受け継いでいるもの」と通産省は定義している。
江戸時代から連綿と煙を絶やす事なく続けてきたことが認められたわけで、先人の努力と苦労が忍ばれる。
陶郷の里・大堀相馬焼で陶芸の修行ができたことに感謝している。
この里は、初春には寒椿の赤い花が咲き、冬 雪を見ることは滅多にない。近くには高瀬川が流れ下流では泉田川と名を変える。
この川には 鮭の幼魚を放流しているので、秋には60センチほどに大きくなった鮭が昇ってくる。
昔は上流の高瀬川でも捕獲できたそうであるが、下流にヤナ場があるので昇ってはこない。しかし、台風などで水かさが増すとヤノ場を乗り越えた鮭をつかまえることができるという。
また秋には、高瀬川の渓谷は紅葉がさえ、小丸山では松茸が沢山取れ、観光客も多く訪れる。何度訪れてもよいところである。
◎窯元はそば打ちの名人、右は奥様
しかし、平成23年の東日本の大震災と福島第一原子力発電所の爆発事故により、放射線量が高く、陶郷の里大堀焼の窯場には立ち入ることが出来ない。
私が修行をした昭和40年代には、26の窯元があり、東北最大の活気のある窯場であった。
このたび、大震災と原発の事故により、窯元は県外に避難を余儀なくされた。
福島県内に留り,大堀相馬焼の窯を復興した窯元は4軒のみである。
私が修行した窯元の師匠・長橋明孝氏は東京東雲で避難の日々を送っているのです。
一日も早く大堀相馬焼が復興し、窯伊元長橋明孝氏の見事な焼き物が生まれることを祈っております。