◆先祖様を玉串で献る◆

玉串は神様に衣を献るの型である。すべて霊界における事象は現界において型をせねばならないので、玉串を捧げて型さえすれば、霊界では想念の延長で立派ないろいろの色の絹と変じて、神様の御衣となるのである。松の梢につけて献るのであるがその松はまた想念の延長によりてりっぱな木材となり、神界の家屋建築に用いらるるのである。このように現界で型をすれば霊界ではいくらでも延長するのであるが型がなければどうすることもできない。だから祖霊さまは肩身がひろい。多くの人に領(わか)って「晴れ」をせらるることはかって話したとおりである。

◇昭和九年一月・王仁語録◇


マインドコントロールにより千何百代祖先解怨とか言って不安を煽り高額なお布施をさせるカルトが今問題となっています。日本人は古よりこの様な玉串の型で、先祖様を敬ってきた民族であり、日本人にはこんなトッピなカルトは合わない。日本の民俗を壊さないで欲しいのです。

御玉串について出口王仁三郎は

御玉串を差上げるに上書を連名ですることは神様にご無礼にあたる。一人一人包んで丁寧にちゃんと名を書いて差上げべきもので、神様は非礼をうけたまわぬ。金銭の多少にかかわるのではないただ自分の赤心を捧ぐればよいのである。実意、丁寧、誠親切これが神の願いであるから連名などということは、丁寧と言うことにおいて欠けている。神様は搾取や強奪は決してなさらぬ。すべて神様に捧ぐるものは純な気持ちでなくてはならぬ。

◇昭和六年六月・王仁語録◇


御玉串を差上げるときも自分に合った相応の物を差上げるのであり、いやでも出さねばならぬという不純な気持ちでは神様は決してお受けなさらないのです。

そのカルトは田畑を売却し一億二億のお布施をさせ。また、それが出来なければ夫を殺してでもお布施を納めろと言い家庭が破壊した方もあるようです。

この様な悪徳集団が何故のさばり続けているのか正常な国民には分かりません。オウムのときの様に即刻対処し、このオカルトの全ての企業活動をも停止すべきです。


♢王仁曰く玉串の梢は一に松.二に榊である♢