*出口王仁三郎曰く、日日はピッタリ*

 私が幼少の頃、祖母・父母が出口王仁三郎の講座を聴いていた話で、丹頂の鶴の頭の赤い半玉の事、驚く内容ばかりです。

終戦前後の有るとき、百目柿の木に始めて実がなり、その大きさは手で示したのですが、径が20㎝程と大きく珍しいと、出口王仁三郎に持って行ったとの事。亀岡に着いて見ると、付き人の方が「昼前から、聖師様が大きな柿が届くはずだがと言っておられた物だ」と言い出口王仁三郎の所へ持って行かれたとの事。千里眼で見る事が出来ると聞いていたが、まざまざと身に感じたと言っていました。

また、これは有名な話で、亀岡城跡地が売りに出され、 お金が無いのにも関わらず買い入れを決め、「お金は」と言う問いに、その内に入ると言って亀岡の駅まで行き、信徒が寄付しようと、電車から降りたところで出口王仁三郎が袋包みを奪うように頂き、その金で購入が出来たと言われている事など、数々の話が有ります。


そして、祖母・父母が出口王仁三郎と面会し、話した内容に、この様な事を申したと言っていました。人間の魂は、母胎に胎児が出来てから3ヶ月で宿ると言ったそうで、その話を母親は、私に何度も何度も言ったのでありました。

どう言う事なのか自分は分からなかったのですが、ある日、出口王仁三郎の昇天は昭和23年である事が分かり、一度、3ヶ月を除いた7ヶ月と10日は如何だろうと計算して見たところ、自分の誕生日より1日足らずの8月25日で、私は安堵をしたのでした。父母の話しから、26日としたら大変大きな役を担わされ兼ねないと思い、嫌な気持ちでいたからです。

だが、後に昭和23年は閏年と成っており、1日足さなければならないと、それも自分は早朝の誕生、出口王仁三郎の逝去は早朝と聞いており、出口王仁三郎曰く『髪の毛一筋も違いは無いぞよ』との事。この話は、皆さん信用しませんのであまり話した事は有りません。

しかし、霊界物語の一項ずつ毎日拝読していて、全部読み上げると6年~7年掛かる項が、事件と同記し、ぴったりと言う奇跡が起こり、これは、自分の事も出さなければと思い、記述させて頂きました。

因みに、お鶴サンは死にましたの項を拝読した日は8月26日の早朝なのであります。