全国に天台宗を広めた円仁
帰国したつぎの年、円仁は、勝道上人の開いた日光山に来て、天台宗を広めた、中禅寺での講義には、大勢の下野の僧が参加したそうです。この時から、日光山は天台宗になりました。また、東北地方の布教にも力を入れ、宮城県の瑞巌寺、岩手県の中尊寺、山形県の
立石寺の開山などに活躍しました。そして、854年、には、延暦寺の3代目の座主(最高の位)につきました。そして、864年、病気のため、72歳でこの世を去りました。朝廷は、円仁の立派な行いにたいし.慈覚大師と言う大師号をおくりました。
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