私が、秋田県教育庁に幼保一元化のために幼保推進課を設置したのは平成16年のことであった。幼稚園業界と保育園業界それぞれからの激しい抵抗を覚悟のうえで、幼保一元化の推進を決断し、平成18年、全国に先駆けて、認定子ども園を設置した。


 決断のキッカケは、ある教育関係者から、幼稚園の子どもと、保育園の子どもには、小学校入学時点で約5%の学力差があると指摘を受けたことである。子どもの出発点で既に格差が生じているのは、制度に問題があるからであり、これは、保育と教育を一緒にすれば解決できると考えた。今では、秋田県の小学校入学時の学力差はほぼ解消されているという結果が出ている。


 ことの始まりは、今から20年前の市長の頃、「保育園にも教育は必要だし、幼稚園にも保育は必要なはずなのに、なぜ保育園と幼稚園が分かれていなくてはならないのか」という単純な思いからだった。


 今回の幼保一元化は、国会における税と社会保障の議論の中で、待機児童の解消、仕事と育児の両立支援、少子化対策などに論点がすり替わってしまっている。もちろん、これらも大事ではあるが、子どもにとって必要なのは何かという視点が欠けていると思う。


 歴史的な過程の中で、幼児教育も、幼児保育も、それぞれが役割と責任を果たしてきたのは確かな事実である。しかし、そこからもう一歩踏み込んで、一体化するということについては、国のタテ割りの中で、保育園は厚生労働省、幼稚園は文部科学省と、別々の道を歩んで来た。


 幼保一元化は、保護者と子どもに視点を当てた制度である。現状では、手続きが煩雑で、さまざま矛盾も抱えているが、将来の日本を支える子どもたちのことを第一に考えて、早期に一体となることだ。当初は摩擦もあるだろうが、とにかく先ずは、幼稚園の先生と保育園の保育士さんが一緒に働いて、お互いの良い点を認め合うこと。そこから始まるのではないか。


 さて、毎日暑い日が続いている。国会は毎日熱帯夜のようだ。本当に政治の社会は困ったものだ。


 自民党は、今解散して選挙を打てば勝てると見越して政局にしようとしている。民主党は、今選挙になれば大敗するという不安に駆られている。そこに各党の思惑が入り混じって、それこそ熱帯夜のような暑苦しさを醸し出している。


 このまま各党が政策抜きの政局に走ったら、国民の信頼を更に失うだけだと、国会の皆さんは分かっているのだろうか。オリンピックのように、ルールに則ってフェアな姿勢で国の課題に向かってもらいたい。私自身も、この空転ばかりしている国会の中に身を置いて、ストレスが溜まっている今日この頃である。